「ミヤちゃんは、どうして死んじゃったんだろうなあ」
酒の席でタカさんが口にしたとき、何を言っているのかわからなかった。
「診療所の先生にも訊いたんだけどなあ。何も答えないんだよ」
だって、と、口を突いて出そうになる。
(もう十年以上も膀胱癌で苦しんでいたじゃない)
(自分で排泄できない辛さと不自由さと、何より激しい痛みを訴え続けていたじゃない)
(いい加減死なせてほしいよ、が口癖だったじゃない)
いくつもの思いがよぎっては消える。
しかし、それを口にはしなかった。
タカさんの口調は、そんなことは問うていなかった。どちらかといえばミヤちゃんが、しがみついていた蜘蛛の糸をうっかり手放したのはなぜかと考えこんでいるかのように聞こえた。
ひとり暮らしのミヤちゃんは、タカさんと同い年。八十歳だった。
ふたりは我が家とは薪ストーブ仲間のご近所さんで、油圧式の薪割り機を共同購入しかわりばんこに使っていた。夫とは男三人よく山に木を切りに出かけ、癌の手術をした後もミヤちゃんは、鉛筆のようにか細い腕でずしりと重たい丸太を、大汗をかいて運んでいた。
よせばいいのに、ミヤちゃんは身体の大きなタカさんと張り合ってわざわざ重い丸太を持ち上げ、またタカさんもミヤちゃんに負けじとムリをして腰を傷めたりしていた。七十代後半のふたりは、還暦近い夫に負けず劣らずのパワーの持ち主で、わたしたち夫婦は密かに「年寄りの冷や水ペア」と呼び、呆れつつも賞賛していた。
ミヤちゃんは、丸太が持ち上げられなくなってからも口は達者で、山へ一緒に出かけ、夫とタカさんのチェーンソーの使い方や丸太の積み方など、あれこれ指南するのに忙しかった。京都弁なまりでわけのわからない駄洒落をとばすのも忘れない。
「ちゃんとお茶飲まなあ、ちゃちゃ入れるぞー」
そして、暇になると大あくびをした。
「ふわー、あー、あああああー」
そのあくびは、大きいだけではなく、いつもメロディになっている。歌ってあくびをごまかしているらしいのだが、あくびしていることをさらにアピールする結果にもなっている。だが、本人はおかまいなしだ。
ご近所の飲み会でも、ミヤちゃんの大あくびは名物だった。そこから中島みゆきやらこうせつやら山の唄やら合唱が始まり、にぎやかに和やかな時間が流れていった。
「ミヤちゃんは、どうして死んじゃったんだろうなあ」
タカさんが、繰り返す。腑に落ちないのだ、どうしても。ミヤちゃんが死んでしまって、もうここにいないっていうことが。何をするにも、たとえば酒が注がれたぐい飲み一つ持ち上げるのにも、そこここにミヤちゃんの思い出が浮かんでは消えるのだろう。
わたしにも、わたしだけのミヤちゃんの思い出がある。
ミヤちゃんが、庭で採れたズッキーニをお裾分けにと持ってきてくれて、だから夏のことだったと思う。
どうしてかは忘れてしまったが、ミヤちゃんとうちの庭で、ふたり空を見上げていた。空は青かったが、いくつもの雲が流れていた。
「あの雲は西に流れてるのに、でもあっちの雲は東に流れてる」
わたしの疑問に、ミヤちゃんは答えた。
「高度が違うんやろ。高度が違うと、吹く風の向きも違うんやわ」
「そうかあ。違う風に吹かれて、流れているんだね」
するとミヤちゃんは、おどけたような笑顔を見せた。
「ズッキーニ、すればいい」
わたしは、手にしていたズッキーニに目をやる。好きにすればいいという意味のミヤちゃんお得意の駄洒落だ。
「どっちに行こうが、ズッキーニすればいいさ」
わたしは、雲に向かって言った。
「ズッキーニ、するぞー!」
ミヤちゃんも、言った。
「ズッキーニ、したるー!」
雲は、それぞれの方向へ形を変えながら流れていった。
だからわたしは、思う。
病気からも痛みからも解放されたミヤちゃんは、今頃空の上でズッキーニしているのだと。たぶんいちばんゆったりとした風に乗って。
仲良しのご近所さんだったミヤちゃんが、生きていた頃の雲の写真です。
☆この秋10月1日で、本好きが集うサイト「シミルボン」が閉じました。
ずいぶんと楽しませてもらい、また多くの本好きの方たちとの出会いをもらい、本を読む楽しさをあらためて教えていただきました。
「ミヤちゃんとズッキーニ」は、漫画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』
8月には閉鎖のお知らせをもらっていたのに、あまりのショックで「シミルボン」についてこれまで触れることができませんでした。
今は、静かに感謝を伝えたいです。居心地のいい場所を、ありがとうございました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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