気持ちよく晴れ渡った土曜日。新府城跡で開催されたウォーキングイベント「―勝頼の集大成―新府城を歩く」に参加した。
先月、山梨県立博物館に観にいった「武田勝頼 日本に隠れなき弓取」展の関連イベントだ。
22人の参加者。聞けば、県外から来られた方が多数いるとのこと。ウォーキングの歩みが止まり、韮崎市教育委員会の閏間(うるま)さんの説明が始まると、みな真剣な面持ちで、スマートフォンで撮影、録画したり、ていねいにメモをとったりしながら、耳を傾けていた。
わたしは、といえば歴史苦手初心者なので、歴史マニアの人たちにはまるで追いつけないレベルのところで、それでも真剣に耳を傾けた。
新府城は、まだ石垣を使わない頃の城だったこと。
新しい府中、つまりは県庁所在地を甲府から移して建てられた城だったこと。
門と呼ばれる場所には「馬出(うまだし)」(敵が真っ直ぐに侵入できないようにする工夫)があったこと。
川の流れが湧き水になる井戸と、雨水だけを貯める井戸と2つの水源があったこと。
新府城からは、長野の諏訪や佐久、群馬方面が見渡せた、つまり、敵の侵入や動向が察知できるように造られていたこと。
新府城は、躑躅ヶ崎や甲府城より大きかったこと。
勝頼は、信玄よりも広い領地を治めていたこと。
勝頼が入城してから、たった2ヶ月ちょっとで新府城を出なければならなくなったこと。
勝頼が火をかけて焼いてしまったあと、そののち家康が何らかの建物を建築した、あるいはしようとした痕跡があること。などなど。
山城跡を、スニーカーで踏みしめて歩きながら、勝頼が生きた時代に、つかの間タイムトラベルしたような気分になった。
ウォーキングの最後に閏間さんが話してくれた言葉が、とても印象に残った。
「『もっと大々的に発掘作業をやれば、真相究明への早道なのでは?』とよく言われますが、この先、あとの時代の人たちにも、発掘、研究の楽しみをとっておきたいし、新たに発覚したことなどから興味を持つ人が出てきてほしい。そんな思いもあるんです」
史跡や考古学に関わる人の、穏やかな熱のようなものを感じた。

最寄りの穴山駅駐車場に車を停めて、中央線でひと駅先の新府まで行きました。

集合場所から、すぐに山城新府城跡へ出発。盛り上がっているのは「出構(でがまえ)」。

しっかり整備してあって、説明板も10ヶ所ほどあり、それを観ながら説明を聞き、歩きました。

「乾門(いぬいもん)」へ続く道。

イカリソウが、群生していました。

閏間さんが、何枚ものパネルを持参して、ていねいに話してくださって、とてもわかりやすかった。

井戸だったという場所に降りて、外と通じていない井戸の重要性(敵に毒を入れられない)を語る甲冑を着た閏間さん。

「本丸」には、桜が咲いていました。

新府城跡は、国指定の史跡なんですね。

諏訪や佐久方面が見渡せることが、何より重要だったという本丸の北側高台からの風景。

「西三の丸」から「丸馬出(まるうまだし)」へ。富士山も、うっすら見えていました。

向こうには、「三日月堀(みかづきぼり)」がありました。

帰り道。穴山駅まで、20分ほど歩きました。桃の花の季節。最高のウォーキング日和でした。
初めまして。オリーブと申します。
山梨在住の者で、県内情報から読書記録など、楽しく読ませていただいております。
新府城跡でのウォーキングイベントの開催予定のブログを読ませていただいて、
とっても行きたい!って思ったのですが、その時には、満員で締め切られており・・・。
新府城のこの周辺は歩いたことあるのですが、歴史解説付きはいいですね。
桃の花見ながらのウオーキング、来年も開催されたら、ぜひ、行ってみたいです。
ご紹介、ありがとうございました。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。