原田マハが「ゴッホの死」の謎に迫る思いで描きあげた、というミステリ。
高遠冴(たかとおさえ)は、パリの小さなオークション会社CDCで働く37歳。少女時代、アート好きの母が冴の部屋に飾った2枚の絵が、彼女を美術の世界へと誘った。
フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」と、ポール・ゴーギャンの「タヒチの女(浜辺にて)」の複製画だ。
フランスで学び、美術史の修士号を与えられた冴は、美術品に近い場所にいられる仕事をしつつ、ゴッホとゴーギャンについて研究にいそしんでいる。
ある日オークションに出したいと、50代の女性サラが小さな紙袋を持ち込んだ。
「フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」
ゴッホは、拳銃で自殺し2日後に亡くなったと史実にある。
しかし、どこで銃を撃ったのか明らかになっていないばかりか、その銃すら見つかっていない。
CDCの社長ギローは、お宝発見とばかりに小躍りするのだが、冴には、腑に落ちないことばかりだった。
冴は、ギローともうひとりのスタッフ、ジャンと3人、ゴッホが最期の2ヶ月ほどを過ごした町、オーヴェル=シュル=オワーズの亡くなった部屋を保存公開している「ラヴー亭」へと向かう。
オーナーのペータースは、サラが持ち込んだ銃を「ゴーギャンのリボルバー」と呼び、4つの秘密を知る人物「X」の存在を語るのだった。
1、自分はゴーギャンの孫である。
2、ゴーギャンが所有していたリボルバーが祖母・母・自分の三代に伝えられた。
3、そのリボルバーはゴッホにまつわる貴重なものである。
4、リボルバーとともに、史実を覆す重要な真実が口伝されている。
死の前年、ゴーギャンを懇願して共同生活に招き、画家としてたがいを高め合おうとしていたゴッホ。仲違いのあと出て行こうとするゴーギャンを引き留めようと、自らの耳を切った史実は有名だ。
原田マハが史実を超えて描くゴッホとゴーギャン。
そこには、時を超えた彼らの心のありようが詰まっていた。
そして、画家たちの絵を、絵を描いた画家たちを心から愛していたキュレーターでもある著者の熱い思いが、熱を帯びたまま伝わってきた。
2年ほど前、夫が読んだ新刊です。ちょうど今月、文庫版が刊行されたところでした。表紙絵は、1888年8月に描かれたゴッホの「ひまわり」第一作目で、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている作品。
裏表紙の絵は、同じ「ひまわり」ですが、新宿にあるSOMPO美術館蔵。
表紙絵の「ひまわり」をもとに、ゴッホがゴーギャンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬頃に描かれたと考えられているそうです。色調の違いが、素人目にもよくわかります。
カバーをとると、ゴーギャンの「肘掛け椅子のひまわり」が。
1901年に描かれたこの作品は、ロシアのエルミタージュ美術館蔵。
おととしの夏、朝の涼しい時間を使って原田マハの『たゆたえども沈まず』を読みました。
この本はまだ読んでいませんが、読みたいな~。
ゴッホの死については謎だらけ。
私の知り合いのギャラリーのオーナーは、ゴッホは自殺ではなく殺されたんだと言い張ります。
たゆたえども。。。。を読むとゴッホがもう少しいいかげんだったら、もっと長生きしただろうな~と感じたのを覚えています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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