「怒り」について、考えさせられた。
森絵都の短編集『漁師の愛人』(文春文庫)には、表題作と『あの日以降』という中編2編と、掌編とも言える短編が3編収められている。掌編3編は、主人公を〈君〉と呼び、珍しく二人称で語られていく。そしてみな、怒っている。
『少年とプリン』
6年3組では、たびたび給食のデザートがなくなっていた。若い女教師は〈君〉を犯人扱いする。〈君〉は怒りをたぎらせているが、それは犯人扱いされたことへ、ではない。女教師が、自分の都合で怒りをまき散らしていることへ、だ。
「私が何度、デザートが足りませんって給食室まで行って、そのたびにイヤな顔されたとかわかってんの? 余ったデザートはありませんかって、ほかのクラスに頭下げにいくのがどんだけみじめかわかる?どこ行ったって迷惑がられて、先生たちからは管理能力を怪しまれちゃって、私の人事評価、もう崖っぷちだよ」
『老人とアイロン』
進路希望に「アイロン師」とかいた中2の〈君〉。父親は〈君〉を座らせ叱りつけるが、じつは怒りの原因が違うところにあったことを〈君〉は気づく。
「嘘だ。あんたは今日、どうしても俺にケチをつけたくなったんだ。それだけだ。ネタはなんでもよかった。どうせ昨日のアレを根に持ってんだろ」
「なんの話だ」
「とぼけんなよ。あんたがむかついてんのはアンケートの答えなんかじゃない。昨日のアレだよ。それを言うに言えねえからって、今さら大昔のことなんか引っぱりだしやがって」
「黙れっ」
父親は、楽しみにしていた冷蔵庫のプリンを〈君〉が食べたことに腹を立てていた。
『ア・ラ・モード』
デートの初めから〈君〉は怒っていた。彼女が、ユニクロのブラトップを着てきたからだ。そのうえ、プリン・ア・ラ・モードを注文すると、プリンなしの「ア・ラ・モード」しかできないという。〈君〉は、ままならないことへの怒りをたぎらせる。
「同じ位置、同じ丸み、同じ谷間。日本全国津々浦々、まるで判でも押してまわったようなもんじゃねえか。個性もクソもミソもねえ。おまえらそんなんで楽しいか? はっきり言って男は楽しくねえ。なあ竹井、おまえら女は元来、80Aだの65Cだの、こみいったミステリアスなサイズってやつを持ってたんじゃねえのか」
ままならないことへの怒り。それは、多かれ少なかれ誰もが持つモノかもしれない。だが、小説のなかで子どもたちは、ままならないことをあきらめたり自分本位に捻じ曲げたりしている大人に、ひどく怒っていた。とてもよくわかる。共感する。しかし大人であるわたしは、たぶんあきらめたり捻じ曲げたりしながら怒りを誤魔化した経験を、持ってもいる。
そんな思いを巡らせながらも、怒りを爆発させている人間ってじつはけっこう滑稽で、読みながらくつくつと低い笑いが止まらなくなった。
猫とカモメのシルエット。夕陽が美しい表紙です。表題作『漁師の愛人』は、いずれまた紹介したいと思います。
『少年とプリン』
自分の都合で怒りをまき散らす女教師。
あ~もう!毎日、私はこの手の人と一緒です。同じ空間に居ります。
「私が、給食室や他の教室に頭を下げに行っている。
管理能力が怪しまれている。どうしてくれるの!」
まったく同じような事を言っていますよ。
それが、あなたの仕事でしょう。と言いたいです。
中学時代や高校時代にもこんな女教師が居りました。
なぜそんなことで怒るのか、訳がわからない女教師・幾名かに遭遇しました。
「怒り」
人の怒りはその人でしかわからないものが多いような気もします。
説明されてもきっとわからない。結局は自分の苛立ちを相手に転嫁させているだけなのでしょうね。
ぱすさん
わ~それはたいへんですね。
仕事が倍疲れますよね。お疲れさまです。
心の底に湧く「怒り」。
確かにその人にしか説明できないものなのでしょうね。
その湧いてきた気持ちを、どう外に出していくか、おさめていくかで、人格というものが問われていくのでしょうね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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