引き続き図書館で借りた、原田マハのアートをテーマにした短編集を読んでいる。
『The Modern モダン』は、著者が実際に勤めていた「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」を舞台にした5編が収められていた。
「中断された展覧会の記憶」
東日本大震災が起こったとき、ふくしま近代美術館では「アンドリュー・ワイエスの世界展」を行っていた。杏子が勤めるMoMAからも代表作『クリスティーナの世界』を貸し出している。杏子は、上司の「『クリスティーナの世界』をフクシマから救出してほしい」という言葉に違和感を覚えつつ、福島へ向かった。
「ロックフェラー・ギャラリーの幽霊」
MoMAの監視員をしているスコットは、夏至の夕刻、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』のまえに佇む青年を見かけた。
――どう思いますか? この作品。
突然のことで、答えられなかった。答えてはいけない、と思ったのだ。
「私の好きなマシン」
8歳で、MoMAのマシン・アート展を観たジュリアは、若き館長の言葉に心を揺さぶられた。
「ここにあるものはね、ジュリア。僕たちが知らないところで、僕たちの生活の役に立っているものなんだ。それでいて、美しい。それって、すごいことだと思わないかい?」
「新しい出口」
2001年9月11日。MoMAのアシスタント・キュレーターであるローラは、同僚のセシルを失った。マティスを研究し続けてきたセシルと、ピカソを追い続けてきたローラ。いつの日か「マティス、ピカソ展」を、そのためにはMoMAのキュレーターにならなくちゃと紅潮した頬を向かい合わせ、ふたりで走り続けてきたのに。
この短編を読み、観てみたくなって検索した絵画は、アンリ・マティス『窓辺のヴァイオリニスト』とパブロ・ピカソ『影』。
犬猿の仲ともいわれたふたりは「アンリ」「パブロ」とファーストネームで呼び合う仲だったのではないかと、ローラとセシルは笑い合ったものだった。
「あえてよかった」
日本の美術館で学芸員をしていた森川麻美(32歳)は、1年間、研修でMoMAに派遣されてきた。夢のようだった。
同世代のシングルマザーのパティは、パートタイム勤務のアシスタントだが、夢に向かい努力をおこたらず仕事に手を抜かない。
「『ありがとう』と『ごめんなさい』を一緒に言うのって、日本の習慣なの?」
そんなジョークにも嫌みがない彼女と、麻美は打ち解けていった。
最も読み応えがあったのは「中断された展覧会の記憶」だった。
福島に起こった原発の風評被害。それでもそこで暮らさざるを得なかった、暮らすことを選んだ学芸員の母と娘。9歳の娘は、障がいを持ちながら前を向いて生きるクリスティーナの背中を見つめ続けていた。
アンドリュー・ワイエスの『クリスティーナの世界』は、今もMoMAにあるらしい。
表紙絵は、ピカソの『鏡の前の少女』でした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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