「スコールが来たらもう、どこかに逃げ込むしかないです」
ベトナム法人のスタッフの男性に、そう聞いていた。
「傘をさしても、ムダですか?」
「役に立たないですね」
フエ料理を食べに行ったあと、やはりスコールに遭ったのだが、間一髪のところでタクシーに乗りこんだ。
だが翌日、ひとり古アパートの写真ギャラリーを観て外に出たら、今にも泣きだしそうな空。すぐにホテルの方向へと歩きだすも降り始めたと思ったらザーッと来た。ドンコイ通りに並ぶ店々の軒下を歩くが、ずぶ濡れになるのにそう時間はかからなかった。カフェでいつやむかもわからない雨をただ待つ気にはなれなかったのだが、それが失敗だった。
大きめのレストランの軒下で足を止めて車道を眺めると、通るバイクたちのカラフルなこと。みなそれぞれ色合いの違う合羽を着て走っていく。
スコールが来たか来ないかといううちに、合羽売りが店を出していた。大きな傘の骨の端に色とりどりの合羽をぶら下げ、通り過ぎるバイクたちの目を引くよう立っている。天候も何もかも、すべてが生活の糧となり得るのだ。何ともたくましい。ここで暮らす彼らにとっては、スコールも日常の風景、ごく普通のことなのだろう。
だが傘をさす姿はほとんど見られない。傘売りもいない。
傘をさすことなく、カフェやどこかの軒先などで時間をつぶして雨がやむのを待ったり、合羽をかぶり雨を身体じゅうで受けとめながらバイクを飛ばしたりする姿は、何もかもを受け入れているかのようだ。
いや。受け入れるのではなく、受け流しているのか。
受け入れる必要もない理不尽にも思えることを、ある人は合羽を、ある人は文庫本を鞄に偲ばせて、その日その日のスコールをやりすごすのだろう。
これは傘屋さんではなく、レストランのディスプレイ。
スコールに遭う前に観ていたギャラリーのある『151ドンコイ・アパート』です。古アパートが今、ホーチミンのトレンドだそうです。
奥まで行くと店々の看板があります。
こんな場所を通って、階段を上って。
この上の階の左側が、ギャラリーになっていました。
前回、夫が見つけたギャラリーです。
向かい側の歩道から見た『151ドンコイ・アパート』です。
ドンコイ通りを走るカラフルな合羽を着たバイクたち。雨が降るたびに日本での豪雨による災害を思い、祈らずにはいられません。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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