彩瀬まるの5編からなる連作短編集。
すべて〈骨〉をテーマ、あるいはモチーフにしている。
「指のたより」
津村(40代)は、久しぶりに若くして病死した妻の夢を見た。光恵(32歳)と恋仲になったせいだろうか。夢のなかの妻は普段通りなのだが、右手の小指が欠けていた。娘の小春が中学に上がった今でも、思い出す。妻の日記にかいてあった「だれもわかってくれない」の文字を。
自分が目にしたもの、いいと思ったものを妻に送る行為は、忙しい夫婦のコミュニケーションを補うだけでなく、津村に不思議な感覚を与えた。妻に「これいいね」と一言返してもらうだけで、自分が見た美しいものを「いいものだったんだ」と消化することができる。これは不思議な矛盾だった。
「古生代のバームロール」
生物を教わった教師の葬儀で、光恵は高校時代の友人たちに再会する。何をしても優秀だった玲子(32歳)は結婚し子育てと仕事を両立しているし、看護士の美鈴は主任になり忙しそうだ。光恵は夫の浮気で離婚して実家で暮らす自分を振り返り、古生代、骨になった化石を思い起こす。
「ばらばら」
しっかり者と言われる玲子だが、母の離婚や再婚で苗字が何度も変わったせいか、自分の骨は1本足りないという違和感を抱えながら生きてきた。8歳の息子との確執に悩み、ひとり雪に埋もれた仙台へ向かうバスで天真爛漫なヨシノ(20歳)と隣り合わせた。
ばらばらだ。私の体を包む世界は脈絡がなくて、私を守ってくれる約束事など何もなくて、ビーズのネックレスみたいに、一度ぱちんと鋏を入れてしまえばばらばらにほどける。熱を分かち合うほど隣り合っていた粒も、遠くへ、二度と出会わない箪笥の奥へと簡単に転がり消えてしまう。
「ハライソ」
津村が経営する会社社員の浩太郎(25歳)は、リアルでは顔も知らないがネットゲームで10年ほど妹のようにかわいがっているヨシノから、初めての性体験について相談される。浩太郎は自分がまだ童貞であることを言えなかった。風俗に行くか行かないかの違い、あるいはセックスについて、津村は浩太郎に語る。
「富士山みたいなもんだよ。縁がある奴はあまり深く考えずに登る。縁がない奴は一生登らない。ただ、登っちゃえばとりあえずどこに休憩所があるとか、何合目ではこんな感じとか、大体の道のりがわかるから、無暗に悩んだり、実物より大変な想像をしたりはしなくなる」
「やわらかい骨」
幼くして母を亡くした小春は、自分の骨をむしばんでいる黒いシミに気づく。多感な14歳。母がいない子への周囲の気づかい。初恋。小春は、宗教を持つ転校生、葵へのいじめに向き合い早朝のジョギングに誘う。
自分のなかには何かが、足りない。わたしも、ずっとそう思いながら生きてきた。家族が欠けているわけでもなく、離婚を経験したわけでもない。
それでもいつもどこかにそんな思いは潜んでいて、それが自分の芯となる骨なのか、息苦しさを感じ続ける臓器なのか、あるいは手の届かない形を成さないものなのか、わからずにいる。
登場人物たちは、それを〈骨〉だと感じていた。
何か足りないのかも知れない。そして、足りなくていいとは思えず苦しんでいるのかも知れない。もしかしたら、誰も彼もが。
銀杏降る表紙絵のシーンが、物語のキーとなっています。解説は、あさのあつこ。本文を引用するたびに、言葉選びの秀逸さにため息をつきました。素晴らしい短編集です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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