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はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

『ほろびぬ姫』

井上荒野の長編小説を、初めて読んだ。『ほろびぬ姫』(新潮社文庫)だ。

冒頭から、読者を驚かせるための趣向が凝らしてある。以下本文から。

 

あなたはあなたが連れてきた。嵐の日だった。おあつらえ向きに、ということができるだろう。稲妻が光って雷鳴がとどろき、一瞬後に、マンションの私たちの部屋のドアをあなたが開けた。勿論、あなたの鍵で。あなたたちは早々に罠を仕掛けていた。あなたは急いでいたわけだし、あなたには少なからず好奇心があったのだろう。その頃、私はまだ何も知らなくて、でもすでに不安の中にいたから、その日も、あなたの帰りを待っている時間がひどく長かった。だからドアを開いてあなたがあらわれるなり、あなたに抱きつこうとして、その瞬間、あなたのうしろにあなたが立っているのを見た。

 

主人公みさきの夫は、病に侵され死を目前にしていた。まだ19歳で、働いたこともなければ肉親さえ誰もいない妻みさきを、自分の死後、どうしたらいいのだろう。そう考えた彼は、行方不明になっていた一卵性双生児の弟に、みさきを託す計画を立てた。

小説は、みさきの一人称で語られていく。みさきは、夫もその弟も「あなた」と呼ぶ。みさきの細微な心理描写により、読み進める過程での混乱は起こらない。

混乱は、ふたりのあなたの性格や価値観が真逆と言ってもいいほどに違っていたことから、いくつものほころびとなって起こっていく。そして死を受け入れていくという重責が3人それぞれの心に波紋を広げ、更なる混乱を起こしていく。

 

解説の松山巌がかいていた。

スイスのキューブラー・ロスが死に逝く人の心の変化を追った『死ぬ瞬間』にある、死を前にした人間の5つの心理段階が、みさきの心理の変化にもあてはまると。まず死を「否認」し、なぜこんなことにと「怒り」、もし生きていられる「取引」があるのなら何でもすると考え、絶望し「抑鬱」に襲われ、すべての希望を棄てて死を「受容」する。

 

みさきは苦しんだ末、夫の死を受け入れる。彼女は、その先に何を見たのか。

すべての人に平等に用意された死。しかしそれを受け入れる心は、ひとりひとり違うのだろうとあらためて考えた。

cimg3338タイトルは、中国の説話、項羽と虞美人の物語から引用した「虞や虞や若を奈何せん(グヤグヤナンジヲイカンセン)」を絡めて、つけられたものです。

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PROFILE

プロフィール
水月

随筆屋。

Webライター。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。



『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。

 

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