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はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

小説「飛花落花」

山梨県で、観光スポットを旅行者向けにインターネットで発信するトラベルライターを始めて六年目になる。会社を早期退職し、五十代後半から始めた仕事だ。

桜は、八分咲きから満開という条件が必須で、深く青い空とのコントラストが必要となる。八ヶ岳や南アルプス連峰、富士山が見える場所ならば、山はくっきりと浮かび上がるように稜線を描いていなくてはならない。残雪の白も、あった方が良い。会社からの要求である。

「まったく、桜はいつになったら咲くんだか」

今年の桜は、例年より大幅に遅れた。三月の記事のノルマの埋め合わせを、どうするか。当てにしていた桜が咲かなかったために、ひねり出さねばならなくなった。

 

桜スポットの記事は、これまで二十ヶ所以上はかいた。最初は意気込んで、満開、青空、澄んだ山の条件が揃った日に、カメラをかついで早朝から車を飛ばしたりもした。会社には好評で、ギャラも上がった。だが、五年も過ぎると疲れてきた。

だいたい、桜の季節というのは、花曇りの日がほとんどで、雨が降っても、風が吹いても桜は散るし、山が際立って見える日が満開と重なることなど希なのだと、すでに痛いほどわかっていた。

引退後の楽しみにと始めた仕事に振り回されている自分が、だんだん嫌にもなってくる。

「もう、いいや。花曇りも霞んだ山も、これが事実なんだから」

そんな、やけっぱちな気持ちになるのも、しょうがないというものだ。

特に今年は、不本意な写真しか撮れず、落ち込んだ。それでも、春に桜の記事をかかないわけにはいかない。桜を見に行き、心がささくれ立つ日が続いていた。

 

「ねえねえ、明日、吟行に行かない?」

そんなわたしを見かねたように、さちこさんが声をかけてくれた。

「いいかも。まだ山の方じゃ、桜も咲いてるみたいだし」

ゆきのさんも、すぐに話に乗ってきた。

〈吟行〉とは、俳句の素材を探しながら歩くこと。少し年上のふたりとは、俳句講座で意気投合した。回を追うごとにすっかり打ち解けて、ときどきランチを食べに行っては、俳句に限らず他愛ない話をするようになっていた。

二年前、俳句講座に通い始めたのは、文章が上手くなりたかったからだ。ライターの仕事に役立てようという算段である。

仕事にもすっかり慣れたと感じ始めた三年目、どこか停滞していると思った途端スランプに陥った。自分のかく文章の稚拙さが鼻につき、取材が嫌になった。もう、やめようか、とすら考えた。

そんなとき、新聞広告にあった俳句講座の四文字に引き寄せられたのだった。

 

「吟行、いいね。行こう、行こう」

桜の記事もかき終えて、ひと息ついていたこともあり、気分は女子会だ。桜スポットなら任せてと、すぐにリサーチ。満開は過ぎたものの山梨の北に広がる北杜市の山城「谷戸城址」なら、まだ咲いている。さっそく以前取材したその近くのカフェでランチを予約し、カーナビに目的地をセットした。

桜は、果たして咲いていた。花曇りで八ヶ岳も霞んでいるが、写真に撮る必要もないから気楽だ。満開は過ぎ、葉桜になっている樹も多く、暖かく穏やかな南風が吹いていた。山城跡は、緑芽吹くやわらかな土手になっていて、スニーカーの足に優しく、足もとには絨毯のように桜の花びらが敷き詰められている。

「わあ、すごい! すごい!」

さちこさんが、子供のような歓声を上げた。ときおり強く吹く風に、桜吹雪が真横に流れる。散り際だからかたくさんの花びらが舞い、ほんとうに吹雪のようだ。

「こういうのを、『飛花落花』っていうんだね」

ゆきのさんが季語を口にし、両手を広げて桜吹雪を身体中に浴びるかのようにして空を仰いだ。

「こんな桜吹雪、初めて見た」

わたしも、ふたりを真似て、ただただ桜吹雪のなかにいた。

そこは、数年前に取材した場所だった。日にちがやりくりできず、やはり散り際に来て、無理矢理咲いている桜の写真ばかり撮ったのだったと思い出した。あのときも、同じように桜吹雪が舞っていたのかもしれないが、記憶にない。わたしはいったい、何を見ていたのか。

ふたたび強く風が吹き、桜吹雪が舞い上がる。

不意に、涙がこみあげてきた。

がんじがらめになっていた何かから、ふっと解き放たれたような気持ちになったのだ。

桜は、満開じゃなくてもいい。散り際には散り際の風情がある。そんなこと、わかっていると思っていたのに。

 

桜に関する季語は、多数ある。

その年始めて咲いた桜を「初桜」、遅咲きならば「遅桜」、散る桜は「落花」「花吹雪」、水に落ちれば「花筏」、花びらが散ったあと蘂と萼が落ちれば「桜蘂降る」など。付随する傍題となれば、数え切れない。

「飛花落花」は、桜の花びらが風に吹かれて飛び散りながら落ちるさまを表している。

吟行当日には句を詠み合ったりはしなかったが、三日後の句会に出した句は、三人揃って「飛花落花」を詠んでいた。

――飛花落花道ゆづりあふ杖と杖

平日だったせいか杖をつく高齢者も多く、見たままの風景を切りとって詠んだ句だ。さちこさんとゆきのさんも、それぞれが見た風景を、それぞれが感じたままに詠んでいた。

 

来年は、どこに桜を見に行こう。

桜の取材には、青く抜けた空と、際立つ山々、そして満開が必須だ。生きていく上では、計算も必要である。

だがもう、わたしは知っている。「飛花落花」が、切ないほどに美しく優しいことを。

☆昨年、エッセイサークルに提出した作品です。

 

 

 

 

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PROFILE

プロフィール
水月

随筆屋。

Webライター。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。



『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。

 

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