雪の翌日の雪予報は外れ、それからずっと晴れている。
「冬晴」は、冬の天文の季語。傍題に「寒晴」「冬日和」「寒日和」などがある。
冬晴やできばえのよき雲ひとつ 岡田史乃
きのうの朝は、青空が濃く、まさに冬晴れだった。
雲は、できばえがよいかどうかは受けとる方それぞれによるが、刷毛でさっと塗ったような薄く軽やかな雲ばかりが流れていた。
死は狎(な)れを許さぬものぞ寒日和 飯田龍太
大正生まれで、戦時下を生き抜いた龍太にとって、死は冬晴れの空を見上げる自分の隣にあるものだったのかもしれない。
「狎れ」は「慣れる」だそうだ。
冬晴れの空を見上げても、詠み手の思いはまったく違う方向へと向かっているのだとわかる。
また同じく天文の季語「冬の空」「冬の雲」にも、日々空の色が違うように、雲の形や大きさが変わるように、様々な句が詠まれている。
冬空に摑まれて富士立ち上がる 伊藤通明
そうだよなあ。空は富士山よりずっと大きい。これは、青く力強い冬の空か。
冬の雲なほ捨てきれぬこころざし 鷲谷七菜子
こちらは、垂れ込めるねずみ色の雲か。それとも、青く澄んだ空に浮く一筋の雲を仰ぎ、決意表明をしているのか。
同じ澄んだ青い空を見上げ同じ季語を置いても、詠み手の心にどう響くかでまったく違う句が生まれる。
そして、その句を受けとる読み手の心の持ちようで、また響き方も変わってくる。
空や雲は、変化に富んでいるがゆえ、日々人の心を映し続けていくのだろう。
一昨日、2階のベランダから眺めた夕焼け。
夕方がいちばんきれい冬の空 上野章子
きのうの朝。2階の窓から見た八ヶ岳。刷毛雲が遊んでいました。
雪山を匐ひ(はい)まはりゐる谺(こだま)かな 飯田蛇笏
「雪山」は、冬の地理の季語「冬の山」の傍題でした。
雪山の冬木立のあいだを、木霊が這い回っているような感覚でしょうか。
南アルプス連峰の鳳凰三山。
雪、だいぶ解けました。
薪運びコースだけを雪掻きした、ウッドデッキ。
薪運搬機の轍が着いた庭。ここに、夫が野鳥のために向日葵の種を撒き始めました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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