手話教室で先生に聞いた話が印象的だったので、かき留めておきたい。
とあるスーパーのレジでの話。ろう者が会計を済ませると、健常者のレジスタッフの女性が「ありがとう」の手話をした。
すると、その手話を見たろう者は目を輝かせ、彼女に手話で話しかけた。
「手話、どこで覚えたの?」とか「手話、上手だね」など簡単な手話かもしれないが、手話で会話することが日常であるろう者の手の動きは、勉強しているわたしたちでも読み取ることが難しいほど速い。
「Hello」と挨拶した途端、ネイティブ英語が押し寄せてきたような感覚に近いだろうか。
「ありがとう」の手話しか知らないレジスタッフは、戸惑い、何も言えなくなり、たいていはその経験から、唯一知っている手話の「ありがとう」を封印してしまうのだという。
「ありがとう」しか知らない自分が、いかにも知っているふうに手話を使ってはいけないんだ、と思うのかもしれない。
わたしも、そう思ってしまいそうだ。
「でもそこで、手話を使うのをやめないでほしいんです。ろう者はただただ嬉しくて、話しかけずにはいられなかっただけなんだから」
先生は、ろう者のそのときの喜びをこんなふうに例えていた。
「日本語も英語も通じない海外で、誰とも会話できない日々を過ごしているときに、不意に甲州弁が聞こえてきたら、どんなに嬉しいか」
(甲州弁ネイティブの先生は、手話通訳士として旅したスイスで実体験したという)
そこで一歩引いてしまうのではなく、「ああ、こんなに嬉しいのか」と心に留めて、もうひとつ手話を覚えたいと思ってもらえたらいいな、と。
「NPO法人 楽しく笑って人生を過ごす山梨手話の会」の基本理念。
誰もが英語で「サンキュー」と言えるように、誰もが手話で「ありがとう」ができる社会にしたい。
「ありがとう」
「手伝う」「手伝い」
まだ一度も街で知らないろう者に声をかけたことはないんですが、「困っていませんか? お手伝い必要ですか?」といつか話しかけてみたいと思っています。
「必要」
『わたしたちの手話 学習辞典Ⅰ』(全日本ろうあ連盟)から。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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