帰ってきたら、八ヶ岳はすっかり秋の顔をしていた。
相変わらず、美しい。
秋の季語「山粧(よそほ)ふ」は、秋の山が紅葉で彩られる様をいう。
紅葉にはまだ少し早いが、朝のひんやりした空気のなかにたたずむ八ヶ岳から、”粧う”支度を調えた雰囲気が伝わってきた。
搾乳の朝な夕なを山粧ふ 波多野爽波
朝夕の冷え込みが、日一日と厳しくなる紅葉の時期。牛の乳を搾る朝と夕、山を仰ぐのだろうか。冷え込むほどに山が色づいていくのが目に映るような句だ。
また「秋の山」は、大気が澄み、遠い山もくっきり見えるようになる頃の山。
いつ見てもどの木にも風秋の山 東條未央
ところで、スペインに『俳句歳時記・秋』を持っていき、俳句を詠もうと思ったが、まったくイマジネーションが湧かなかった。
もちろん、わたしの想像力が足りなさが大きな要因だが、やっぱり日本の季節の移り変わりは素晴らしいと、あらためて思う。
この季節にしか詠めない句がある。この場所でしか詠めない句がある。
そんな当たり前のことを、知った旅でもあった。
朝6時。リビングから見た八ヶ岳。
朝早くから畑で、火を燃やしている人がいました。
朝焼けっぽかった。
庭では、小紫がすっかり紫になっていました。
久しぶりに一眼レフを借りて、撮りました。
先っぽの方は、まだ薄い紫。
いとほしや人にあらねど小紫 森澄雄
トイレの一輪挿しに、飾りました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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