「照明、ありません。懐中電灯、ご持参ください。」
そうかかれたチラシが、娘からLINEで送られてきた。
『嵐ヶ丘 地の果てで響く声』という芝居に出るらしい。『平原演劇祭』という野外劇フェスの一環だそうだ。
「エミリー・ブロンテの原作を大幅に読み替えた長編叙事物語」ともある。
よくわからないが、懐中電灯持参で観に行った。
舞台は戦後の日本。スパイ防止法制定へと尽力してきた政治家、北野に、スクープ記者、田島は迫る。
「あなたの過去を、いくつか知っています」
北野は若い頃の記憶をすべて失くしたことにしていたが、戦時中、満州で過ごした忘れられない思い出と別の名(柴崎)を持っていた。
シーンごとに舞台はくるくると場所を変える。観客のいる会場全体がステージでもあり、あちらから、こちらから役者が登場する。スポットライトは、観客が手に持つ懐中電灯だけ。ライトを浴びる役者もいれば、ただ闇に響く声もある。誰かがこちらでセリフを発したかと思えば、反対側から答えが返る。走り回っていたかと思えば、静寂のなか立ち尽くす。
タイトルの「地の果てで響く声」は、満州の風の丘「嵐ヶ丘」で柴崎(北野)と戦友ヒースクリフが話していた「自分たちにだけ聞こえる声」のことだ。死んでいった人たちの消し去ることすらできなかった思いが声になって届くのだと。
呼吸するように人を裏切って生きてきた柴崎(北野)だったが、「苦しむのはそれだけ純粋な心を持っているからだ」と、ヒースクリフは言うのだった。
「心が傷つくのは、心から誰かを愛していたから」
これもまた同じ意味だろうか。柴崎は、嵐ヶ丘で心の底から愛したキャサリンを救うことができず、消えない傷を胸に刻んだまま帰国することになる。
ベテランの役者たちのなかで、娘は生き生きと自分の役を演じていた。わたしはただただ自らの手に握られた光を演ずる者たちに当て、観ることに懸命だった。
会場は北千住の『BUoY』でした。会場は地下です。地下だと「アングラ」っていうんでしょうか?
これがチラシです。
始まりました。主役の北野と記者の田島。
火事のシーン。北野の妻は、狂気のなかに落ちていきます。
満州での記憶。回想シーンです。ヒースクリフとキャサリンと柴崎。
次々と残虐な現実が繰り返されていった日々。娘は、冷酷で意地悪で臆病な伍長を演じていました。
太鼓の音が耳に残っています。
中国残留孤児の孫と再会するのですが。
終演後の挨拶は、役者さんたちもそれぞれを懐中電灯で照らしていました。芝居は3時間半を超える長編でしたが長いとは感じませんでした。
「嵐が丘」ってあのブロンテの?
わが身を滅ぼすまでのヒースクリフのあの強烈な愛と憎しみ!あの「嵐が丘」のこと?ってどきり、としました。
野外劇フェスの一環とありますが、演劇の思い切った挑戦に今更に驚きます。
「ベテランの役者の中で娘は生き生きと自分の役を演じていた。」素敵です。演じるという厳しさ楽しさを素人なりに想像しながら・・・。
yasukoさん
わたしはブロンテの『嵐ヶ丘』はまったく知らなくて、あらすじを読んでから観に行きました。
予備知識があってより楽しめたと思います。
懐中電灯で照らしながらのお芝居。これまでにない試みですよね。
楽しかったです♩
演じる人みんな楽しそうでしたよ。
3時間半の長丁場、セリフよく覚えられるなあなんて変なところに感心しました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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