井上荒野の『ママがやった』は、連作短編集で、登場人物たちが入れ代わり立ち代わり語り手となる。
大まかなあらすじは、冒頭、年老いた母親が夫を殺してしまい、奔放に生きた夫、3人の子供たち、そして母親のこれまでがコミカルに綴られている。
そのなかに息子、創太の中学時代のことを描いた「はやくうちに帰りたい」がある。父親は相変わらず愛人と過ごしているのだが、それとは別に、とても共感した部分があった。
創太の初恋のクラスメイト、織愛(おりえ)がかいた詩の内容だ。
「はやくうちに帰りたい」というのが、その詩のタイトルだった。それは織愛の、口に出さない「口癖」で、本当にうちに帰りたいと思うわけではない。それが証拠に、家にいるときにも頭の中で度々それを口ずさんでいる、という内容だった。
創太は、驚く。
俺と同じだ、と思ったのだった。「はやくうちに帰りたい」と、家にいても思うところまで同じだった。
すっかり忘れていたが、わたしも十代の頃、そんなふうに思っていた。
大人になり生まれた家を巣立ってからは、そんな気持ちは薄れていたから、とても久しぶりに思い出し、だからとても新鮮だった。
若い頃には、恋人と会っているのにもかかわらず淋しい気持ちになり、彼と電話で話したいなと思ったことがあった。目の前にいる彼と。
それともちょっと、似ている。
片方の手にたしかに持っているのに、もう片方の手でさらにそれを探してしまう。
人というものはどこまでも、なにかを探し追い求め続けるものなのだろうか。
解説は、池上冬樹。純文学ファンにもミステリファンにも薦めたい1冊と、ありました。
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随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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