10年以上前に買った文庫本『ペンギン・ハイウェイ』は、何度か挑戦しながらもずっと読めずにいた。特徴のある文体が”読みにくさ”となり、わたしの前に立ちはだかっていたのである。
それが、すんなりと読める日がやって来た。
その特徴ある文体は、いまやわたしのなかに居座り、文章をかこうとすると顔を持ち上げるようにすらなってしまった。
ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
小説は、小学4年のアオヤマ君の一人称で語られる。(ものである、と彼の語り風にかきそうになる)
他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分よりもえらくなる。
日々努力を欠かさない天才少年なのである。
ある日、海のない彼の町でペンギンの群れが目撃された。
アオヤマ君は、ペンギンの謎を研究することに決める。彼は、たくさんの研究をしている(のである)。
・「スズキ君帝国」(いじめっこスズキ君たち)
・「プロジェクト・アマゾン」(川の上流へ向かう道筋をたどる)
・「お姉さん」(なぜ歯医者のお姉さんとそのおっぱいに惹かれるのか)
・「妹わがまま記録」(可愛がりつつも、客観的に観察している)
そして「ペンギン・ハイウェイ」。
町にペンギンが出現してから、さらに研究は増えていく。
アオヤマ君は、決して怒らないし泣かないと決めている。
すでに怒りの感情が湧いたときには、おっぱいのことを考えればその怒りが収まることを発見してもいる。
スズキ君たちに、アマゾンの地図を取り上げられ、自動販売機に縛りつけられても怒らないし泣くこともない。
しかしそこで、偶然居合わせたお姉さんが、缶コーラをペンギンに変身させるところを見てしまう。
お姉さんは言った。「この謎を解いてごらん。どうだ。君にできるか」
日本SF大賞を受賞したこの小説は、だから”SF”である。
けれど、それと同時に恋の物語でもある。”恋”とひと言もかくことなく、けれど紛れもなく芯の部分に、それを置いている。
毎週土曜日「海辺のカフェ」で、チェスを教えてくれる歯医者のお姉さん。
アオヤマ君は、研究したことをお姉さんに話すのが好きだ。彼女はきちんと聞いてくれるが、感想はたいてい「ふうん」と、かっこよく、クール。中性的な雰囲気を持つ女性だが、彼は、彼女のおっぱいに見とれて注意されたりもするし、彼女の元気をなくすサイクルを研究し、胸を痛めたりもする。非常に一途だ。
アオヤマ君は、お姉さんに思いを寄せつつも、増え続ける問題を解こうとしていた。彼の父は、よきアドバイザーとして彼を見守り、ときには助言する。
「それらの問題の正体は、けっきょく一つの問題かもしれない」
父は、こうも言う。大きな紙に関係のあること全部をメモするようにと。
「あるときいろいろなものが突然つながるときがくるよ。一つのメモがもう一つのメモにつながって、そこにまたべつのメモが吸い寄せられてくる。そして、エウレカだ」
「それでもわからないときには?」
「そういうときは、わかるまで遊んでいればいいさ。遊ぶほうがいいときもあるんだよ」
そうしてあるとき、”エウレカ”はやってきた。
切なく悲しい風をはらませて。
解説は、漫画家の萩尾望都でした。
森見登美彦の小説は、これで3冊目。一冊目は『聖なる怠け者の冒険』。
そして2冊目『夜行』は、ずいぶんと心愉しい読書体験だった。
ペンギンたちが海から陸に上がるときに決まってたどるルートを「ペンギン・ハイウェイ」と呼ぶのだと本に書いてあった。その言葉がすてきだと思ったので、ぼくはペンギンの出現について研究することを、「ペンギン・ハイウェイ研究」と名付けた。
「すてき」という言葉を、こんなふうに素敵に使えるんだ~とハッとさせられた一節です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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