本屋でふと目につき、手にとった。
『デフ・ヴォイス~法廷の手話通訳士』
耳の聴こえない人という意味の「デフ」と「手話」は、毎週通っている手話教室で馴染みになっている言葉だ。『法廷の手話通訳士』というサブタイトルを見て、なるほど、そういう仕事があるだろうと興味を持った。小説としてもおもしろく読めるだろうという意味だ。本を手にすると、ミステリー好きのミステリーとして楽しみたいという願望がどうしても先に立つ。
結果から言うとこの本は、ミステリーとしてじゅうぶん楽しめた。
主人公、荒井尚人は、仕事にも結婚にも失敗し求職中の43歳。
ハローワークで勧められ、特技である「手話」を仕事にすることにした。彼は「Children of Deaf Adults」略して「Codaコーダ」(両親ともにろう者である聴こえる子)であり、音声日本語よりも先に日本手話を自然に習得していた。
手話通訳の仕事を重ねていくうち、穴があいた法廷での手話通訳の仕事が回ってきた。荒井は、もとの職場で行きがかり上手話通訳した17年前の「事件」へと引き戻されていく。
ろう児施設「海馬の家」の理事長が刺殺された。犯人は、入所していた女児の父親「門奈(もんな)」でろう者だった。その手話通訳をしたのだ。
忘れていたその事件を思い出したのは、ふたたび同じことが起こったからだ。
跡を継いだ息子もまた、刺殺された。門奈はすでに出所しているが、行方不明だという。彼らに何があったのか。
17年前に門奈とその家族、妻と娘ふたりの面会に立ち会ったときのことが思い起こされる。
「おじさんは、私たちの味方? それとも敵?」
少女はなめらかな手話で、荒井に問うた。
荒井は、子どもの頃から胸のなかにわだかまるものがあった。
ろう者である兄と両親は、彼には介入できない絆で結ばれている。たがいにわかり合えない部分があるのは当然で、家族のなかで孤立する淋しさを抱えていた。
そして子どもながらに母親に通訳しなければならないことの数々を、重荷にも思っていた。特に、小学生のとき、父親が末期がんで助からないと伝えなければならなかったことは、忘れられずにいる。
日本手話を自在に操りながら、聴者であること。それは、今も荒井のなかにわだかまりの影を落としている。
コミュニティの中に紛れ込んだ異端者を見る眼――。
今まで、何度この視線を感じたことだろう。それまでにこやかに「日本手話」で会話をしていた相手が、荒井が「聴こえる」と知った時に浮かべる表情。
ああ、あなたは聴こえるのね。
そこには、一握りの羨望とともに、落胆と拒絶の色が宿る。
ミステリーながらこの小説には、「ろう者」という言葉に含まれた深い意味や、「日本手話」と「日本語対応手話」の違い、「口話」について、ろう者が差別を受けていた時代のことなどにも触れている。
『デフ・ヴォイス』というタイトルは、荒井にとってどんな意味を持つのか。
たぶんわたしは、一般の人よりも「ろう者」についての知識はわずかだがある方だと思う。それでもこの本を読み、想像し得ない「心」の問題を、そのひとつの感じ方を知ることができた。
ろう者と彼らを取り巻く人々のことを少しでも知るためにも、多くの人に読んでほしい小説だ。
山田太一推薦という帯にも惹かれました。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。