京都の「ホホホ座」で見つけた長田弘の詩集『世界はうつくしいと』は、季刊雑誌『住む』にmade in poetryとして連載された25編の詩+2編が収められている。
購入したのは、最初の一編を読んだから。
少し長いが、全文引用せずには、この詩の良さを伝えることはできない。というか、一部分を切りとって引用することは詩に対して失礼だと思い、全文引用することにした。
〈窓のある風景〉
窓の話をしよう。
一日は、窓にはじまる。
窓には、その日の表情がある。
晴れた日には、窓は
日の光を一杯に湛えて、
きらきら微笑しているようだ。
曇った日には、日の暮れるまで、
窓は俯いたきり、一言も発しない。
雨が降りつづく日には、窓は
雨の滴を、涙の滴のように垂らす。
ことばが信じられない日は、
窓をあける。それから、
外にむかって、静かに息をととのえ、
齢の数だけ、深呼吸をする。
ゆっくり、まじないをかけるように。
そうして、目を閉じる。
十二数えて、目を開ける。すると、
すべてが、みずみずしく変わっている。
目の前にあるものが、とても新鮮だ。
初めてのものを見るように、
近くのものを、しっかりと見る。
ロベリアの鉢植えや、
体をまるめて眠っている老いた猫。
深入りのコーヒーのいい匂いがする。
児孫のために美田を買うな。
暮しに栄誉はいらない。
空の見える窓があればいい。
その窓をおおきく開けて、そうして
ひたぶるに、こころを虚しくできるなら、
それでいいのである。
こんなふうに、窓に思いを寄せたことがあっただろうか。
この詩は、日常の、今そこに、手に届く場所にあるものやことごとにスポットを当て、ありふれた毎日が、いかに”うつくしい”ものであるかを伝えていた。
表題作も読んだ。
うつくしいものをうつくしいと捉えるには、そう捉えられる心がなくてはならない。
読んで、しばし目をつむり、それから静かに窓を開け、春の雲を眺めた。
京都を思い出しながら、一日一編ずつ、大切に読んでいる。

表紙絵は、ドイツの画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる『墓と柩とミミズクのいる風景』です。
ミミズクのような目を持つことができたらというのが、変わらないわたしの夢だ。
著者あとがきより。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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