山本文緒の連作長編集『落花流水』は、運命に流される手毬(てまり)の70年を描いている。
第一章「夏の音」1967年(語り手、マーティル)から始まり、10年ごとに語り手を変え物語をすすめていく風変わりな手法を用いていた。
山本文緒とわたしは同い年(1962年生まれ)で、手毬とほぼ同年代だ。蚊取り線香の豚が登場する「夏の音」では7歳の手毬と隣家に暮らすアメリカ人の母親を持つ12歳のハーフ、マーティルの淡い恋がテーマ。
甘やかされて育ったマシュマロみたいに白い手毬。
しかし、彼女の運命は大きく変わってしまう。大好きなお母さんが急死し、本当の母親は、姉であると知らされた。
第二章「もう行かなくては」1977年(手毬)
貧乏な暮らしと、男をとっかえひっかえする母、律子に振り回さる高校時代、17歳。手毬は、マーティルから託された犬、ジョンを亡くす。
そうだ、忘れていたのは記憶ではなく、感情の方だったのだと私は気づいた。
大好きなお姉ちゃんが豹変した恐怖も、一人きりにされた夜の淋しさも、毎日のように起こる理不尽さに対する怒りも、ストレートに受け入れたら自分が壊れてしまうのを無意識に感じて、蓋をして過ごしてきた。その蓋は、ジョンだった。ジョンの掌の柔らかさを感じる時だけ私は癒やされていた。
第三章「濃密な夢」1987年(母、律子)
子供ができて結婚することになった27歳の手毬。母の再婚相手である父。父の連れ子である弟、正弘。手毬はようやく母、律子から離れられる。
娘であってもやはり他人の幸せは他人のもので私のものではない。それとも私が母親として異常なのだろうか。
第四章「落花流水」1997年(手毬)
マーティルが訪ねてきた。すっかりおばさん然とした37歳の手毬に、結婚しようという。
「ママなら持ってっていいよ。ヒメは返せよ」
弟、正弘は、手毬の娘、10歳の姫乃を愛していた。
第五章「ムービー・ムーン」2007年(弟、正弘)
マーティルと結婚して子供を産み、田舎で外国人向けのゲストハウスを手伝う47歳の手毬。姿をくらましていた彼女を弟、正弘が訪ねる。
第六章「また夢をゆく」2017年(手毬)
マーティルと離婚し、その後一緒になった男と死別。娘、グミはオーストラリアに留学中。57歳の手毬は、資格を取らずヘルパーをしていた。
第七章「葵花向日」2027年(娘、姫乃)
アルツハイマーを発症した67歳の手毬がボヤを起こし、娘、姫乃と母、律子が呼び出された。ケアマネジャーはいう。
高齢者では今痴呆よりもうつ病の方が深刻で、人生の最後の日々を孤独と自殺願望で過ごすよりも、手毬さんのように過去のことを何もかも忘れてしまって、昨日のことも明日のことも考えずに、自分が病気であるという自覚もなく、おだやかに日々を過ごせたらそれはむしろ幸せなことなんじゃないでしょうか。
記憶って、何だろう。
わたしは悪い記憶ばかりをピックアップして思い出す癖があり、できればすべてを忘れてしまいたいと日々それらをかき消しながら生きている。
17歳の手毬がそうしてきたように、記憶ではなく感情に蓋をする。
そうすれば、生きるのが少しは楽になるのだろうか。
【落花流水】らっかりゅうすい
① 散る花と流れる水。
②《花が流水に散れば、水もこれを受け入れ花を浮かせて流れてゆく意》男に女を慕う心があれば、女もまた情が生じて男を受け入れるということ。デジタル大辞泉より
流されて、流されて、手毬は太陽に向かって向日葵が咲く場所へと辿り着いたのかもしれない。
解説は、イッセー尾形。1999年に刊行された小説ですが、ラストは2027年。発売時には28年先の近未来ですが、今はもう5年後になりました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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