町内の「浄居寺(じょうこじ)」で行われた、座禅会に出かけた。
座禅はまったくの初めてで、どんなふうにやるのだろうと想像が追いつかなかったが、副住職さんは息子の中学時代の同級生で、夏には睡蓮咲く庭の記事をかかせてもらい、穏やかで真面目な若者だと知っていたので不安はなかった。
副住職さんは、初めに「不用の用」という言葉を用い、心を空にすることで、そこに「用」のないスペースができる。スペースの存在により、入ってくるもの、入れられるものがあると説いた。
次に、座り方をていねいに説明。
座布団を二つ折りにして尻をのせ、あぐらをかくのだが、両足を反対側の太股にのせるのが本来の姿勢だという。膝を傷めやすいわたしは、ムリはせず両足ともあぐら風に畳の上に置いた。
背筋を伸ばし、手を組みおへその下に置き、次はゆっくりと腹式呼吸をする。
呼吸をしながら、ひと呼吸を1とし数を数えていく。途中、雑念が入ったら、ふたたび1から数え直していく。
実際に僧侶たちが行う座禅は長い線香の火が消えるまでの約40分だそうだが、体験なので短めに行うということで、拍子木、おりんを鳴らし座禅が始まった。
肩を打つ棒、警策(けいさく)で打たれるのは、希望者のみだ。
心を空っぽにする。
それは、とても難しかった。すぐに何かを考えてしまう。ネガティブな方向へいってしまいそうにもなる。
10分と17分の2回の座禅で、警策も打ってもらった。
警策は思いのほか心地よく肩というより背中に響き、なにかが整ったような感覚になった。
座禅のあと、副住職さんは、「合掌の意味を考える」というお話をしてくれた。
食事をするとき、一粒のお米、一本の野菜、一匹の魚つまりは自然の恵みに「感謝の念」を込めて合掌しいただくこと。
食べられることは当たり前ではないという謙虚な気持ちを持つこと。
食事のときに、不平不満、愚痴、怒り、妬みなどで心を見失わないようにすること。
ほんの1時間ほどだったが、静かに凪いだしんとした心持ちになり、少しだけ”いい気”を胸のなかに吸い込めたような気がした。
☆「浄居寺」を紹介した記事は、こちら。
【睡蓮が見頃を迎えました!美しい庭園を歩く~里山の自然に包まれた「常牧山 浄居寺」】
座禅会を終えて。この本堂で行われました。
本堂の目の前には、南アルプス連峰鳳凰三山が夕闇にたたずんでいました。
駐車場から撮ると、お地蔵さんが写っていました。赤い飛行機雲が見えたんですが、それは撮れていませんでした。
いただいた座禅会限定の御朱印です。合掌の文字。
座禅って一度体験してみたいです。
ヨガでも呼吸瞑想会っていうのに、参加したことがあるんですが、
心を空っぽにするっていう事ほど、難しい事はないですよね。
どうしても思考は止める事なんて不可能ではないかな~っていつも思います。
食事をする時に、全てに感謝する。
不平不満、愚痴、怒り、妬みなどを思いながら食べていたんでは不健康になりますよね。
生きる上で一番大切な食事こそ、合掌の基本なんですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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