月曜の朝は、濃い霧に包まれていた。
普段は目に見えない空気のなかの水滴が霧となり、こうして見えている。
不思議だ。
考えてみれば、わたしたちは目に見えないものに囲まれ、日々暮らしている。
口にした言葉も、口にしなかった思いも、目には見えない。
考えていることも、ふと思いついた閃きも、見えることはない。
過去も未来も見えないし、時間の流れそのものがまず目には見えない。
ほんとうも嘘も見えないし、足跡も指紋も見えないものの方が断然多い。
愛も憎しみも幸せも後悔もブラックホールもウィルスだって、見えないからこそややこしい。
そして水たまりができる場所のように、目に見えているのに気づかないもの、見ようとしないもののなんと多いことか。
確かなものなんて、ないのかも知れない。
不確かなものばかりに囲まれ、生きているのかも知れない。
だからこそ、今という見えない〈世〉を誠意を持って生きていたい。
いつか霧は晴れると信じて。
リビングの北側の窓。
西側の窓。
晴れると北側の窓からは、木の枝越しに八ヶ岳が見えます。
西にも木立ち越しに南アルプス連峰が。ユンボは森の整備のために夫が借りたものです。
2階のキャットウォークから見たきのうの八ヶ岳。
目に見えないものへの恐怖。
ウィルスもしかりですが、情報の拡散や、感染してはいけない見えないプレッシャー。
そういうことが見えてきますね。
今、最も恐れるのは、感染してはいけないプレッシャーです。
職場の映像なんて、出して欲しくない!
そこですね・・。
最初の写真。いいですね。朝霧とキャンドル、いいですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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