「秋桜の季節も、そろそろおしまいかあ」
先週、秋桜畑を歩いた。
そのせいがあったのかは判らないが、ずっと興味があり、縁あって予約していたオーラソーマ(色と光によるセラピー)で、無意識にピンク色を選んでいた。
初めて受けたそのセラピーは、何十本も並べられた上下2色に分かれたボトル(瓶)のなかから1本ずつ4本を選んでいくのだが、最初に濃いピンクを、2番目に選んだのは上下ともにペールピンクだった。
「オーラソーマでは、ピンクは赤を光で薄めた色になります」
そのなかでもペールピンクは、いちばん薄いピンク。光を存分に取り入れた赤、つまり赤の効果をもっとも強く持つ色なのだそうだ。
「情熱の赤って言いますよね。強い情熱をお持ちのようですよ。あるいは、強く情熱を欲しているということも考えられます」
淡いピンクの穏やかさに魅かれ選んだ1本だったのだが、赤というハッとするような強さを持つ色、さらには情熱という穏やかさの対極にある言葉を隠し持ったボトルなのだという。
4本のうちのペールピンク&ペールピンクを選んだ2本目は、チャレンジし、それによって才能を開花させようとするときの強みを表すらしい。
「情熱、ですか」
ちなみに1本目は、その人の本質、潜在的なもの。3本目は、今現在の状況。4本目は、未来の可能性を表すそうだ。今傍らに置くとしたらどれかとだけ問われ、水色や薄い黄色など淡い色ばかりを選んでいった。
穏やかさの象徴のような淡い色が持つ、意外とも思える強さ。わたしはそういうものを欲しているのだろうか。陽を浴び光る淡いピンクを見ながら考えた。
日々穏やかに、小さな幸せを感じることを忘れずに暮らしていきたいと思っている。どこにでもある静かな暮らしだ。しかし考えれば、そういう日々を送れること自体恵まれているということなのだろう。
ただなんとなく暮らし、気づいた光に目を留めるだけでは、求めている穏やかな時間もいつか壊れていくのかも知れない。ワイングラスを磨くように、いつもそこにあるごく普通の時間を磨く。今わたしには、そういう情熱が必要なのかも。
明るくやわらかく揺れるピンクや水色、淡い黄色の光を見つめているうち、そんな思いが胸に満ちていった。
色の濃淡は数知れず。秋桜のピンクには、それを目の当たりにさせられます。
一色の花かと思いきや、花びらの中心と先が微妙に違います。
赤に近いピンク。咲きかけの花にはパワーを発しているような魅力があります。
白い秋桜も大好きです。咲きかけの白はクリーム色に近いですね。
ぼんやり見ているだけで、穏やかな気持ちになってきます。
次は春。またポピーのときに、寄らせてね。
コスモスなんて美しい!こんなにいろいろな色があったのですね。
アップされた一輪一輪に、たまらない愛しさを覚えます。
「赤に近いピンク。咲きかけの花にはパワーを発しているような魅力があります」
14歳の頃に出会った茶華道の師匠の言葉を思い出します。
「お花は中開き(咲きかけ)が最も美しい、その美しさを存分に生かして活けるのです。それが
開いたら直ちに捨てましょう、というのが華道です」今はこんな事通じませんがね、とおっしゃったけれど、忘れられない言葉です。
さだまさしが「秋桜と書いてコスモスとルビを振って曲の題名にしたのは1977年、25歳になる少し前だった」と書いています。「山口百恵の歌唱が大ヒットして、秋桜と書いてコスモスと読む習慣はあっという間に日本に定着し、メキシコ原産の花は完全に日本に”帰化”したわけである」と5日付の新聞にちょっと誇らしげに書いていました。
神戸新聞の土曜「風のうた」は読みごたえがありいくつか切り抜いています。
yasukoさん
秋桜畑、たまに通る道沿いにあるんですよ。シルバー人材センターの方々がお世話してくださっているそうです。やさしい色合いに癒され、咲きかけの花にパワーをもらってきました。
百恵ちゃんの秋桜なつかしいですね。そのヒットから漢字の秋桜が定着したとは知りませんでした。秋の桜、きれいな言葉ですよね。
お花の先生の言葉、なるほどと思いました。
秋桜は、青空の下で咲いているのが似合いますね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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