「重なるときは重なる」とはいうけれど、どうしてこうも重なるの? というトラブル続出の日があった。
朝、顔を洗ったら、洗面所の水がなかなか流れない。
朝食前に、排水パイプを取り外して洗浄することに。
その排水パイプの取り外しに四苦八苦し、取り付けにまた四苦八苦。ところが、取り付け後にパイプから水が漏れていて、どうに収まらない。
朝食後、昨晩、食器洗い機が作動していなこことに気づく。
点滅しているエラーを見ると、数年前に修理したときと同じ。次回はもう、部品がありませんといわれていた。
なかに入っていた食器をすべて出して、手洗いする。
解決したわけではないふたつの案件を抱えつつ、お茶を飲もうと冷蔵庫を空けると、横に寝かせて入れておいたワインの栓が外れていて、冷蔵庫がワイン浸しになっていた。
「いったい、なんなの!」
この辺りで、気持ちが切れた。
こういうときに思い出すのは、柚木麻子の『伊藤くん AtoE』にあった一節だ。
「テーブルには汚れた皿がいっぱい。厨房も洗い物でいっぱい。入店した客を通そうにも、出す皿もないし、どの席にも案内できない。完全なる飽和状態。でも、その崩壊を立て直す方法っつうのが、たった一枚の皿を洗うことだったりする。一枚の皿を洗うことで停止していた歯車がゆっくりだけど、回りだすんですよね……」
崩壊は、一枚の皿を洗うことから立て直せる。
冷蔵庫のドアポケットや仕切り板を洗い、何度も拭きながら思う。
ひとつひとつ、片づけていくしかないのだと。
数日後、排水パイプは割れていたことが発覚し、交換してもらった。
食器洗い機は、ビルトインタイプなので、24年が経ち、ようやくシステムキッチンを入れようかと検索中。
ひとつ、ひとつ、である。
英語では、「misfortunes seldom come singly.」直訳すると「不幸が単独で起こることはめったにない」という諺があるという。
国が違っても、同じようなことはあるわけだ。
排水パイプの写真を載せるのもなんなので、庭のヒメウツギを。
可憐です。
この子は、しばらく網戸にとまっていた小さな蝉。羽化したばかりだったのかな。
アカボシゴマダラかな。外来種だけれど、関東地方によく見られる蝶だそうです。
庭では、ラベンダーも咲いています。ノコギリソウの葉っぱと。咲いているラベンダーは写真に撮るのが難しいですね。なかなかピントが合いません。庭のノコギリソウは、咲き始めたところです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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