クヌギの幹にいるけろじがあまりにもキュートだったので、一眼レフを出した。
けろじとは、我が家に棲んでいるアマガエルたちのニックネームである。
さて。「雨蛙」は、夏の季語。
傍題に「枝蛙」「青蛙」「夏蛙」「森青蛙」などがある。例句は、こちら。
手を出せと言はれて受けぬ雨蛙 松浦加古
『俳句歳時記・夏』には、蛙が3つ載っていた。
「河鹿(かじか)」と「蟇(ひきがえる)」で、「河鹿」は、魚ではなく美しい声でなく蛙だそうだ。
同じ蛙なのに、3つの季語がまったく違う雰囲気を持っているのがおもしろい。
『20週俳句入門』の「季語のはたらき」にある「連想力」が違うのである。
「雨蛙」は、身近な小さく可愛い存在であるが、「河鹿」は、美しい鳴き声を詠んだんだ句が多い。
仮の世と思ふ河鹿の声の中 村沢夏風
「蟇」は、その姿の滑稽さや悲哀などが詠まれている。
人の世の端に居座る蟇 村越化石
また、「蛙(かわず)」であれば、春の季語となる。冬眠から目覚めた蛙の声は、田園の春の情趣に欠かすことができないものと捉えられ、その鳴き声を詠んだ句が多いようだ。
手をついて歌申しあぐる蛙かな 宗鑑
同じ蛙でも、春と夏とでは風景も人の心持ちも変わってくるわけだから、もし同一人物(同一蛙)を目の前にしていたとしても「蛙」と「雨蛙」のあいだには、時間というディスタンスがあるということか。
一眼レフで撮られるままに、じっとこちらを見つめるけろじの可愛らしさを、いつか詠みたいものだ。
クヌギの幹を歩くけろじ。
振り向くけろじ。
沙羅の葉をベッドにしていたけろじ。
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介
沙羅の枝越しに、パチリ。
沙羅は、たくさんの実を生らせています。
実をつけた、まだ青いコムラサキ。
「紫式部」は、秋の季語。「実紫」は傍題のひとつ。
実むらさき老いて見えくるものあまた 吉野義子
まだ、ちらほら花が咲いています。
コバギボウシは、ぐんっと伸びて次々花を咲かせています。
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介
楽しい句ですね。
さすが芥川さん!
沙羅の葉にくっついているけろじくん めんこいこと。
実むらさき老いて見えくるものあまた 吉野義子
この句もいいですね。
これから先また見てくるものもあるでしょうが、若い頃には見えなかったものが、わからなかったことがこの頃はいろいろありますよね。
我が家のタマノカンザシも咲き始めました。
コバギボウシの紫、素敵ですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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