『たゆたえども沈まず』を読み、ゴッホの画集を開いた。
そこには、小説に登場した数々の絵画が、静かに収めてあった。
『たゆたえども沈まず』に最初に登場したのは、「馬鈴薯を食べる人々」。
オランダ風の粗末な服を着た人々は、家族だろうか、食事の最中だ。しかし食事をともに囲む喜びは、どの顔にも見えない。痩せてギョロッとした目つきの女。疲れ果てた男の横顔。彼らの顔には、見えない明日への不安が靄のように広がっている。
故郷オランダで暮らすフィンセントが、パリで画商として働く弟テオに送った作品だ。
(「馬鈴薯を食べる人々」1885年4月~5月 オランダ時代)
画集を開くと、驚くことに「わざと下手に描く」という試み、つまり大胆なデフォルメをすることで力強さを強調したとある。
「皿のなかの馬鈴薯を突きさして食べているその手で、彼ら自身が大地を掘り起こしたのだということ」を強く意識し「文明化した人間たちの生き方とはまるで違う生き方を考えさせることを意図した」
画商として芽が出ず聖職者を目指すも挫折し、絵を描き始めたというフィンセント。彼は最初から、目の前の風景を写実するのではなく、心の底から湧き出す何かを表現したいと強く思っていたのである。
また、「星月夜」は、療養していたサン・レミからパリのテオに送った最後の一枚、と小説にはある。
地球を含む星ぼしの自転、その軌跡が白く長くうねり、夜空にうずまく引き波を作っている。太った三日月は煌々と赤く輝き、空を巡る星たちは、やがて朝のヴェールの中へと引き込まれていく。
その中にあって、わずかも衰えずに輝きをいや増すただひとつの明星、明けの明星。アルビーユの山脈を青く照らし、静かに眠る村落に光を投げかける。
けれど、この絵の真の主役は”糸杉”、その姿は孤独を抱えた兄そのものなのだと、テオは思うのだった。
(1889年6月 サン・レミ時代)
画集には、渦巻くような夜空の現実とはかけ離れた情景に、さまざまな解釈が生まれてきたとあった。
どの絵画や小説の影響を受けたのか、宗教や思想、社会情勢など。
しかし、この絵を描いた約一年後に37歳の若さでフィンセントが死んだことで、それは永遠の謎となった。
町並みの描写は、サン・レミの家々ではなくオランダ風。月は反対向きらしい。
風景の中に故郷の情景を紛れ込ませていることからもわかるように、この絵は客観的な情景描写ではなく、主観的な感情が入り交じったものと考えられる。
小説を読み、画集を開き、少しずつフィンセント・ファン・ゴッホに近づいていく。こういう楽しみ方もよい。
左は2021年「ゴッホ展」の図録。右はそのときに購入した富田章著『Vincent Van Goghゴッホ作品集』です。
画集の写真を引用するのははばかられたので、絵画の画像は、無料フリー素材からダウンロードしました。画質があまりよくありませんがイメージはできると思います。
「ひまわり」1888年8月 アルル時代
「黄色い家」1888年9月 アルル時代
ゴッホがアルルで借りた家を描いた作品。
青と黄の対比は、ゴッホがパリ時代から関心を抱き、アルル時代に研究を推し進めたテーマ。
「夜のカフェテラス」1888年9月 アルル時代
ゴッホが星空を描いた最初の作品といわれるそうです。青と黄が反撥することなく呼応し合っています。
「これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜だ」とゴッホ自身は簡潔に書いているが、計算し尽くされた色彩設計に基づく作品なのである。
今日の秋田はもう34度あります。
東北でも今日は秋田が一番暑いようです。
ゴッホの画集いいですね。
暑い夏は画集を部屋でゆっくりめくる楽しみがありゆっくり
私はひところ糸杉って日本にもあるのかな~と探しました。
でも種類が違うようですね。
けた外れに高い木のようです。
私が一番好きなゴッホの絵は「夜のカフェテラス」です。
この絵を見ると行って見たいな~と思います。
構図、色使い共に100点です!
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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