珠洲市では、倒壊したままの家々をいくつも目にすることになった。
車で通った小さな集落では、もう誰も住んでいないのではないかと思われるほど、人の気配がしなかった。
また、あるところでは、屋根が崩れ落ちた家の隣に暮らしている人の姿が見られ、すぐそばでスーパーが営業していて、日々倒壊した家屋を目にしながら暮らしているのだと思った。たぶん、知っている人の家だろう。安否も知っているに違いない。
それでもスーパーで買い物する人がいて、スーパーで働く人がいて、それはどうしても必要な人間の営みなのだ。
そういう場所をただただ通過し海岸沿いの道を走る途中、「塩田村」とナビに表示された。製塩業が盛んな地域らしい。
壊れた道をようやく通れるようにしたといった風景のなか営業しているとは思えなかったが、通り過ぎようとしたとき「営業中」の看板が目に入った。「珠洲製塩」で車を停める。
祖父の代からここで塩造りをしていると話す若者が、ていねいに塩造りの工程を説明してくれた。
珠洲の海は、寒流と暖流が交わる場所にあり、多くの生き物を育む栄養豊富な海水。その海水で造る塩は「塩らしい塩」の味がするそうだ。
実際に、塩を造るところを見せてもらい、日々使っている”塩”にあらためて出会った気がした。
3日目。珠洲の「軍艦島」まで走り、帰路につく。
帰り道、Googleマップで見つけた能登町の「マッハコーヒー」で、珈琲を飲んだ。外壁にはブルーシートが貼ってあり、修理の最中のようだったが営業していた。
選んだ豆をそれぞれたっぷりドリップしてもらい、若い店主に思いがけず震災当日の話を聞かせてもらうことができた。東西に南北に揺れ、家がぐるぐる回ったという。
「“人間らしい暮し”に戻るには、まだ2~3年はかかるでしょうか」
彼の発した“人間らしい暮し”という言葉に、輪島で、珠洲で見てきた光景が眼裏に浮かんだ。

珠洲市の写真は、ほとんどありません。「営業中」の看板に車を停めた「珠洲製塩」。
震災で休業せずにお店を続けられた珠洲の製塩屋さんは、ここだけだったそうです。今は再開しているところもあるようです。

昔ながらの「あげ浜式塩田法」で作られた塩は天ぷらなどにつけて。ポンプを使った「流下式製塩」はお料理にとのおすすめでした。
どちらもその製塩技法で高濃度にして、大釜で煮詰めて仕上げるといいます。釜を焚く様子も見せてもらいました。

3日目に行った珠洲市の「見附島」。その風貌から「軍艦島」とも呼ばれています。

踏み石が並べられているため引き潮の時間帯のみ、島の近くまで歩いていくことができるそうです。近くで見ると、岩肌が崩れているのがわかります。形も変わってしまったのでしょう。

能登町赤崎海岸の灯台。珠洲から海沿いの道が続いています。

恋路海岸の弁天島。

休憩した「イカの駅つくモール」のイカキング。

遊覧船や、イカ漁をする小さな漁船が停泊していました。

「マッハコーヒー」で飲んだエチオピアのグジという地区の珈琲を買って帰りました。

珈琲をドリップするお湯の温度は、85℃から90℃がよいと店主に教えてもらいました。

一度水洗いをしてから焙煎すると、雑味のない味になるとか。こだわりの珈琲です。
能登半島に行かれたんですね。
人間らしい暮らしができるまで・・・・だなんて。
想像もできないぐらいですが、現実なんですね。
その様子を行かれて実感されたんですね。
千枚田や輪島朝市、軍艦島。
7年前ぐらいに、行ったことがあるのですが、軍艦島は小さくなってしまったね。
と、夫とも話しています。
朝市の活気、千枚田の景色、思い出します。
年月はかかりますが、街は必ず復興しますから・・と、希望を持ちたいですね。
記事を拝見してずっと前のNHKの朝ドラ『まれ』を思い出しました。
ダンサーである田中泯さんが海水をくみ上げたものをひしゃくでまいていたのシーンを覚えています。
まいている姿が何とも美しかったです。
ああ、ここの塩だったんだな~と今更ですが思い出しました。
コーヒー豆を一度水洗いするのですね。
すごい!
油分があるからすぐに拭けばしけたりはしないのでしょうね。
珈琲もとても美味しそうですね。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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