薪ストーブに、火を入れるか入れないか迷いながら三寒四温を繰り返す季節。ふと思い出したことがある。小学2年の冬のことだ。
あの頃東京の小学校の暖房は石炭ストーブで、ストーブ係は石炭をバケツにいっぱい運んでくるのが仕事だった。担任は新卒の女性で、今思うに学級運営がうまくいってなかったのだろう。係ではない男子が、ただやりたいからという理由で、常にストーブに石炭をくべていて、先生は黙認していた。
ある日、その彼が最前列に座った子どもたちに、石炭をくべるシャベル「十能(じゅうのう)」をストーブのなかで温め触らせるという行動をとった。
「熱い?」
「熱いよ、やめてよ」
そんな会話が繰り返された。担任の先生は、子どもたちに背を向け、オルガンを弾いていた。音楽の時間だった。
やがて、最前列の端に座っていたわたしの番になった。
「熱い?」
いやだとも言えず、手の甲に十能が触れることから逃げることもできなかった。しかし、意外にも十能は熱くなかった。やわらかな温かさだった。
「熱くない」
わたしは、正直に言った。
「なんだ、熱くないのか」
すると彼は、ストーブのなかで十能を熱く焼きわたしの手の甲にあてたのだ。
手の甲に激しい痛みが走った。
「熱い!」と言葉にすることさえできなかった。
わたしの悲鳴に、先生はオルガンを弾く手を止めて振り返り、彼が持った十能を奪い取った。そしてそれで彼の頭を打ったのだった。彼はそれで頭を縫うほどの傷を負ってしまった。
「熱いよ、やめてよ」
もしあのときそう言っていたら、ふたりともケガをすることもなかったのにと、後々ずいぶん考えた。
しかしいまだに、そういう小さな「嘘」をつけずにいる。
「ごめん」
微笑みながら、胸のなかで、もう何十年も会っていない彼に言う。
わたしいまだに、そういう「嘘」うまくつけないや。
「まあしかし、きみも悪戯が過ぎたよね」
そしてこうも思う。
彼は頭のいい子どもだった。わたしが「熱くない」と言うだろうことを見透かしていたのかも知れないと。それをおもしろがって、ちょっといじわるしてやろうと思っただけで、火傷させてしまったのはたぶん 誤算だったのだろう。
こんなふうに穏やかに思い出せるのは、初恋の君だったからなんだけど。
火を入れることなく朝を迎えた薪ストーブ。陽の光と会話していました。
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激しい先生でびっくりしました!
それは強烈な思い出ですね‥
さえさんはただ子供らしい行動だったと思いますよ。
そこまで黙認していた教師…大人に、責任ありますね。
なんて、今なら大変な事ですね。
昔はゆるかったですね〜。
ぱすさん
たぶん先生も驚いて衝動的な行動をとってしまったのでしょう。
そうですね。今ならニュースになりかねないかも。
その後も担任の先生は交代することなく続けていたので、謝罪で済んだんだと思います。
いろいろ緩かったな~って思いますよね。
子どもらしいかな~可愛げがないって、自分では思うんですが。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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