白い花に、なぜかとても魅かれる。
空から舞い降りた天使のように感じるからかもしれない。
なぜか、と考えたとき、韓国の女流作家ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』の一節を思い出した。
インド・ヨーロッパ語では、空白blancと白blanc、黒blackと炎flameはみな同じ語源を持つ、ということを彼女は読んだ。闇を抱いて燃え上がるがらんどうの、白い、炎たち―三月につかのま咲いて散る二本の白木蓮は、それなのだろうか?
単に「白」と言っても、そのなかに様々な性質を抱いているのだ。
そして、こうもかかれている。
人間はなぜ、銀や金、ダイヤモンドのような、きらきらする鉱物を貴いと感じるのだろうか? 一説には、水のきらめきが古代の人々にとって生命を意味したからだという。輝く水はきれいな水だ。飲める水—生命を与えてくれる水だけが透明なのだ。
ハン・ガンは、その輝きを「白」と捉えている。
祝福のシーンにも、悲しみのシーンにも置かれる「白」という色。
明るさも輝きも、静けさも優しさも、その奥に静かに抱えた「白」。
わたしは、その奥行きの深さに魅かれているのかもしれない。
アナベルが咲きました。
玄関先の石段の上です。
まだ、これからの花もあります。
ヒメシャラは、だいぶ花が落ちました。
ノコギリソウは、そこそこに広がっています。
シロツメクサも、繁っては咲いています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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