パパが遺した別荘で暮らすことになったとき、ママは子どもたち3人に新しい名前をつけた。もとの名前は魔犬に呪いをかけられた、口にしてはならないと。
姉は「オパール」、真ん中の弟は「琥珀(こはく)」、下の弟は「瑪瑙(めのう)」と名づけられた。
オパール11歳、琥珀8歳、瑪瑙がもうすぐ5歳という年のことだった。
3人の子どもたちは、母親に軟禁された形で数年を過ごす。
ママは一番下の妹が死に、それは魔犬の呪いだと思いこみ、残された愛する子どもたちを安全な場所へ避難させたのだった。学校どころか、別荘の壁の外へは決して出てはいけない。「ママの禁止事項」は、絶対だった。そして彼らが恐れたのは、ママが悲しむことであり、ママが混乱に陥ることだった。
やがて琥珀の左目には、琥珀色の何かが見え始め、彼は死んだ妹を瞳の奥に見つけられるようになっていく。
読み切れないほどの図鑑から知識を得、ママが弾く壊れたオルガンのメロディに合わせて歌い、オパールが語る外の世界に想像を膨らませる。琥珀の瞳の奥にいる妹とともに、3人にとって幸せな時間が流れていった。彼らはその状態が不自然なものだと知っていた。けれど、それを保とうとした。それでも、成長が彼らを少しずつ変化させていくのだった。
3人が考え出した遊びに「事情ごっこ」がある。
できるだけかけ離れたテーマの図鑑2冊から、目をつぶったひとりがキーワードをひとつずつ選択する。その2つの言葉を使って自由にある状況を作り出す。
〈クレオパトラ〉〈雲梯〉
クレオパトラのようなおかっぱ頭の、けれどそれほど美しくはない小母さんが、公園の雲梯の上を裸足で歩いています。
これをオパールが語ると、こうなる。全文は長すぎるので一部のみ。
クレオパトラ小母さんがクレオパトラのように美しくないからと言って、誰も小母さんを責めることはできません。親と早く死に別れたり、養父に折檻を受けたり、大人になってからも結婚詐欺にあったり誤診で卵巣を切り取られたり、さまざまな不運に見舞われて、とてもお洒落に時間を割く余裕などなかったのです。髪がおかっぱなのも、月末、家賃の支払いに困った時、自分の髪をかつら屋へ売っているからです。小母さんの唯一の慰めは一緒に暮らしている猫でした。
彼らは、こんなふうに彼らだけの世界で楽しみを見つけ、生きていた。
軟禁状態が6年8カ月も続いたのは、彼らが聡明で思いやりに満ちていた故のことだろう。たがいに信頼し、敬意を払い、愛しみ合って暮らしていた。もしかしたら「ママを悲しませないために」は、ケンカや意地悪やわがままも「禁止事項」だったのかも知れない。
宝石の名を持つ姉弟たちのつながりは、とても美しい。いくつものシーンが光を放っている。
小説は、歳をとったアンバー氏(琥珀)と過ごす〈私〉が語るパートと、過去の彼らの目線で語られるパートとがある。〈私〉も3人に習い、信頼と敬意と愛しみを持ちアンバー氏に接していた。
「君は説明が上手だ。オパールみたいに」
それは最上の誉め言葉だと感じて私はうれしくなる。
「オパールは何についても上手に説明してくれる」
「ええ、そうですね」
「たとえ道端で踏みつけにされた、片方の手袋についてだって、礼儀正しく語れる。誰も気づかない物語を説明できるんだ」
ここを読み、腑に落ちる。
彼らは誰に対してでも何に対してでも、常に礼儀正しい。敬意を払うことを忘れない。宝石の輝きを放っているのは、彼らのなかにあるそんな澄み渡った空のような部分なのだろう。
人はこんなにも礼儀正しく、愛しみ合えるのだ。
写真の光って見えない村田沙耶香のコメントは「私の内側の奇跡の記憶を揺さぶる、特別な魔法の物語」です。表紙の石は、左の白っぽいのがオパール、隣りが瑪瑙(たぶん、サードオキニス…紅縞瑪瑙)、右が琥珀ですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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