パンを焼き始めたら、パンの本に目がいった。
図書館で借りたエッセイ集は、40人の作家がパンについてかいている。
江國香織「フレンチトースト」
幸福そのものだ、と思う食べ物に、フレンチトーストがある。
秀逸な冒頭文だ。そこには、フレンチトーストを食べると思い出す”恋”についてかかれていた。
ただでさえ甘いフレンチトーストを、その男は小さく切って、新たにすこしバターをのせ、蜜でびしょびしょにしてフォークでさして、差し出すのだった。幸福で殴り倒すような振る舞い。私はそれを、そう呼んだ。
角田光代「逃避パン」
食べるのが追いつかないほどパンを焼いてしまうのは、なぜか。
粉を触ってこねて、ぶつけて膨らまして成形するという、粉過程のぜんぶが、気持ちの鎮静作用をもたらしているのだと思う。
粉に、逃避や沈静、癒やしなどの魔力があるのではないかとある。
パンをこねるのも焼くのも好きなわたしは、共感せずにはいられない。
平松洋子「パンの耳~ひそかな宝物」
パンの耳。よくよく考えると変な言葉だ。
なにがすてきかといって、遠慮がちなところ。なんとなく居心地悪そうにさえ映るところが、ぐっとくる。
子供たちが幼かった頃、パンの耳を揚げて砂糖をふりドーナツ風にしておやつに出したことを思い出した。
ひと言で「パン」といっても、捉え方は様々だ。
朝食に食べるパン。「アンデルセン」や「木村屋」で買うパン。サンドウィッチ。菓子パン。自分で焼くパン。パンへのこだわりやシチュエーション。給食で食べたパン。「パンのために働く」という言葉に含まれた生きる糧としてのパン。海外で食べた珍しいパン。戦時下で食べたパン。母親が焼いてくれたパン。小説や童話に登場したパン。
パンの周りには、いくつものドラマが広がっている。
去年秋に文庫化されたのでしょうか。10月に書評で紹介されていますね。
執筆者一覧です。穂村弘「結果的ハチミツパン」も、庶民な感覚が好きでした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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