『一篇の詩に出会った話』に載っていた山崎方代の歌集『方代』が届いた。
同人誌を思わせる手作り風の薄い本で、二百首の歌がずらりと並んでいる。
あとがきによると、前半百首は昭和24年から26年に、あとの百首は出版した30年に詠まれたものだという。30代から40代にかけて詠んでいる。
知らなかったが偶然にも山梨に生まれた歌人だった。大正3年、甲府の右左口(うばぐち)に生まれている。
短歌に明るくないわたしだが、目に留まった歌をあげていきたい。
冒頭の一首。
わからなくなれば夜霧に垂れさがる黒きのれんを分けてでてゆく
生涯家を持たず、妻子を持たず、酒と煙草と短歌を愛した人だったという。
以下は、方代の視野の広さ、視点が自由自在に動くおもしろさを感じた歌だ。
机の上にひろげられたる五本の指よ瞳に見えるものみな過去である
一枚の落葉のかげにて何ごとかおこりおるとも見えねば知らず
一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる
湯呑よりしずかに湯気の立ちのぼるそれをみつめて夕餉を終わる
月光の地上にくろく石くれのかげを置けども月のかげなり
『一篇の詩に出会った話』でぐっときた歌は、これ。
茶碗の底に梅干しの種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
方代が、茶碗の底をじっと見つめるさまを思う。様々なものを様々な方向から見ていた彼だからこそ、この梅干の種を見つめる目線に、立ち位置に、生涯ひとり者だった彼が語る愛に、魅かれたのかもしれない。
解説に、名前の由来がありました。
龍吉、けさのの次男(八番目の子)として生まれた。兄姉たちが夭折するので〈生き放題、死に放題、勝手にせよ〉と、方代と名づけられたという。
方代は、71歳まで生き、死んでいったそうです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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