人混みのなかを歩いているとき、ふと忘れていることに気づく。
まえから歩いてくる、母親と小学校2年生くらいの女の子。その横を通り過ぎる、大きなバックパックを担いだ外国人の青年。立ち止まっている、銀髪の微笑みをたたえた老婦人。忙し気に携帯電話で話し続けるスーツ姿の男性。7~8人の大家族でにぎやかに行進していく人たちもいる。
そんな誰もかれもが、ひとりひとり自分の人生を歩んでいて、日々小さなことごとに悩み、笑い、怒り、喜んでいることを、つい忘れてしまう。
当たり前のことは、ただただ当たり前すぎて、うっかり忘れたり、どこかに隠れて見えなくなってしまったりするのだ。
江國香織の短編集『犬とハモニカ』(新潮社)に収められた表題作「犬とハモニカ」を、再読した。
イギリスを飛び立ち、成田空港に到着する寸前の飛行機。そこに乗り合わせた人たちの、その一瞬を切りとった群像劇だ。
アリルドは、スキーを教える社会人ボランティアで、日本を訪れた。
息子がたった一年で大学を退学してしまったときも、出会ってまもない女性――スウェーデンからの旅行客――と婚約――のちに白紙に戻した――したときも驚かなかった両親は、今度もまた驚かなかった。
賢治は、妻と娘を迎えに飛行場に向かう途中、忘れ物に気づく。ハム。7歳の娘が可愛がっているブタのぬいぐるみだ。
妻に、離婚したいと告げられたのは、一年前のことだった。全く横暴な話で、浮気とか、暴力とか、セックスレスとか、何か納得のいく理由があるのならともかく、何もないのにただ一方的に、あなたという人間に我慢ならないのだと、妻は言うのだった。
寿美子は、イギリスで暮らす娘のもとに行った帰りだ。
娘の夫は日本語を話せないのだが、オカーサンとアリガトウ、ドーゾとサヨナラだけは覚えていて、機会のあるごとに口にした。ジョアンナとエイミーもそれを真似て、頼りない口調で寿美子をカーサと呼んだ。カーサ。寿美子は、自分がカーサという名前の、べつな人間になったような気がした。
賢治の7歳の娘、花音は、入国審査の列に並びながら考える。
大人は数に入らないのだ。だって――と花音は思うのだが――、世の中には大人が多すぎる。大人だらけだと言ってもいい。それを全部数に入れたりしたら、わけがわからなくなってしまう。
出張から帰った森也は、家族と、そしてもうひとりに連絡する。それを、そばにいた寿美子が分析していた。
「ただいま」と呟いたのは、相手が開口一番「おかえりなさい」と言ったからに違いないのだし、そのあといかにも嬉しげに、それでも一応低めた声色で「俺もだよ」とこたえたのは、会いたいとか淋しかったとか、言われたからだろうと知れた。
ショッピングモールやいつもの駅なんかを歩いていても、もしかしたらこんなふうに、それぞれの胸のなかで、深く深く物語は紡がれているのかも知れない。
ふとそれに気づき、立ち止まる。
今そこで、突然走り出したあの人に、いったい何があったのだろう。
ほぼ暖色の表紙は、この季節、持っているだけで温かみがありますね。その年のもっとも完成度の高い短編に贈られる川端康成文学賞受賞作。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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