角田光代の小説『紙の月』(ハルキ文庫)を、読んだ。
銀行での一億円横領事件。容疑者は41歳、契約社員の女性だった。
結婚後、子どもに恵まれず銀行でパート勤めを始めた梅澤梨花は、まじめな働きぶりが認められ契約社員となる。そんなある日、顧客の孫である大学生の光太に出会い、梨花の生活は変わっていった。初めは光太の学費のために彼の祖父の預金から二百万円を借りるつもりで手に入れたのだが、お金に対する感覚は次第に麻痺していく。
もともとの梨花は、多忙で顔を合わせられないような夫との贅沢な生活よりも、休暇をともに過ごせる夫とのつましい暮らしに憧れるごく普通の主婦だった。だが夫と食い違う生活に、心に空しさを抱えるようになっていた。以下本文から。
五月の連休、「忙しくしている罪滅ぼしに」と、正文は梨花を温泉に誘った。いいところね、と素直に褒めると、
「こないだのフレンチよりはまともなものが食えるんじゃないかな」
と正文はうれしそうに言い、梨花はようやく、彼の発言のどこに不快を覚えるのか理解した。つまりその温泉旅行は、罪滅ぼしではなく、確認なのだ。
梨花が居酒屋で奢ったあとで、わざわざ都心の高級鮨屋に連れていくようなことだ。彼は梨花に、知らしめているのだ。仕事の中身も重要性も経済力も、自分の方が梨花よりはるかに上であると。
そう気づいて梨花は笑いたくなる。だってそんなこと、知らしめる必要なんかないのに。当たり前のことなのだから。不快さの理由に行き当たると、とたんに梨花は不快を感じなくなった。そうね。本当にそうね。梨花は正文の一言一言に、笑いながら答えた。
この旅行でも、正文は梨花に触れることはなかった。そのことに梨花が傷つくことはなかった。光太の触れた指の感触が、未だ体の隅々に残っていた。
小説は、お金に翻弄される梨花、正文、光太、そして、梨花の横領をニュースで知った知人達、節約に憑りつかれた木綿子、買い物依存症の亜紀とその娘、妻の贅沢病に悩む和貴を描いていく。自分の意志には反していても楽な方へと流されていく弱さ、また、そこにつけ込まずにはいられない弱さを。
お金は多くあればあるだけ見えなくなる、と梨花は不意に思う。息を吞むような美しさを持つペーパームーンが、一瞬だけ数多くの光を放つ花火にかき消されるかのように。確かに一億円なんて想像もつかない。手の届かない、あるかなしかも判らないような遠く薄い月と似ているかも知れない。
目を閉じて、紙の月と夜空いっぱいに咲く花火を思い浮かべた。
映画『紙の月』を観てから、読みたくなった本です。
ストーリーを知っていても楽しめる小説でした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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