6月から取材していた「梅之木遺跡公園」の記事を、ようやくアップした。
遺跡は、集落だった頃の再現が進んでいて、竪穴式住居は5つ目を建築中。
オープンした4年前に取材したときとは、様変わりしていた。
そして、土器を使った調理や滞在ができるようにと土を捏ねて土器を焼き、植物の茎や繊維などで敷物や衣装を織っているという。
住居を建てる道具も、縄文時代に使っていたものを使おうと、手作りした石斧で木を切り、木の皮で編んだ箕で土を運ぶこだわりよう。
便利な道具があるなかで、あえてそれを使わずに進められていて、その信念に脱帽する。
今回、土器や土偶を見て回っていることもあり、「深鉢」と呼ばれる土器について新しく知ったことがある。
調理用の「鍋」に使われていた土器だ。
現代で使われている底広の鍋ではなく、なぜ縦長の底がすぼんだ形をしているのか。
それは、囲炉裏のような炉に置き直火調理をした場合、熱伝導効率がもっとも良い形だからだそうだ。
五徳を使うようになり、現代の鍋の形へと変わっていったのだろう。
土器や土偶には、同じようなデザインのものが離れた場所で見つかっていて、何に使われたのか、どういう意図で作られたのかわからないものも多いけれど、「深鉢」はデザイン性よりも実用性を重んじていたとも言える土器ということになる。
5000年昔に生きた縄文時代の人々が、日々試行錯誤して、土を捏ね実用性の高い土器を焼いたのである。
暮らすことが、生きることそのものだった時代なのだ。
心と頭で思い巡らせても、現代人の想像は、まったく追いつかない。
広ーい草原のなかに、竪穴式住居が並んでいます。
もちろんなかにも、入れますよ。
居心地のいいスペースが、広がっています。
「深鉢」です。調理や滞在体験のための準備が進んでいました。
縄文時代の料理、食べてみたいなあ。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
こんにちは~。
「三十三番土偶札所巡り」ができるほど遺跡が豊富なんですね。
岡山は古墳の数や吉備独特の特殊器台は多く出土しますが
土偶はほとんど見かけません。
こちらには「御墳印帳」をいう県下でも巨大古墳といわれるもの
7カ所の印を集めるようになっています。
竪穴式住居も梯子を使って降りるほど地中深く掘り下げていて
こちらとは構造が少し違います。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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