寒の入りだったきのうの朝は、零下となった。
薪ストーブの上に置いたやかんの白湯は、美味い。沸点まで達しているのかは判らないが、喉が渇いた朝には、火傷するほどには熱くないやわらかい白湯になっている。眠っているあいだ薪ストーブの庫内に入る空気を絞っているので、低い温度で燃えているからだ。朝、火はくすぶるという具合になっている。
ところで、透明なのに「白」湯なのだなあと、よけいなところにひっかかる。
白は「何もない、無」とか「雑じりけがない、純粋」などの意味も持つそうだから、とりたてて可笑しな言葉ではない。素湯(すゆ)から生まれた言葉だとも言われているらしい。
言葉というものは不思議なもので、白のなかに「無」が含まれると知った途端、白湯のなかにも「無」を感じるようになった。毎朝白湯を飲み、喉を通過し身体じゅうに沁みていくとき、自分のなかを「無」がゆるやかに通過し、「有」を、あるいは「雑」を薄めていくような気がする。
白い湯気をたてる、透明で雑じりけのない、やわらかく温かい湯。それが身体のなかで、日々の雑念を解かしていってくれるかのように。
さて。白湯を英語で調べてみたら「hot water」「boiled water」と出てきた。何とも直接的だ。うーむ。日本語って美しい。
薪ストーブは、空気の量を絞ると、朝までやわらかな温かさです。
白湯も、ごくごくとは飲めないちょうどいい熱さになっています。
百均で買ったガラスのコップだけど、テーブルの上に光が散ってきれい。
居間のソファサイドに置いてあるこのテーブルは、
材木屋さんで貰った木を、夫が削り磨いたものです。
和室にも、大工さんと一緒に削った欅のテーブルが置いてあります。
どっちも丸太の上に乗せただけ。足がついていないので、取扱注意です。
玄関の丸太も「切りっぱなしじゃないよ。ちゃんと削ったんだ」とは夫。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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