『翻訳できない世界のことば』を、ローマの書店で見つけ、うれしくなった。
そのイラストブックのなかに、好きな言葉がある。
ワギマン語のMURR-MA(ムルマ)で、訳は「足だけを使って、水の中で何かを探すこと」とある。
著者のエラは、こう捉えている。
実際に触れられるものを探しているのか、触れられないもの(たとえば生きる上でのいろんな疑問など)を探しているのかにかかわらず。広い大海なら、きっと見つけられるでしょう。川や湖、小川や水たまりでも、なにか見つかるはずです。
ワギマン語は、絶滅の危惧に晒されているオーストラリア先住民族の言語だという。
人は、どこの国どこの土地であろうと、いつでも何かを探しているのだと、胸に落ち着く言葉だ。
「足だけを使って」という不器用さが、いい。
ほかにも、アラビア語のGURFA(グルファ)「片方の手の平にのせられるだけの水の量」。
トゥル語のKARELU(カレル)「肌についた、締めつけるもののあと」。
ブラジル・ポルトガル語のCAFUNE(カフネ)「愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ」など、手足にまつわる言葉も多い。
普段何気なく使っている、手や足、指。それを突き詰めて考えてみると、ゲシュタルト崩壊したように不思議な感覚に陥る。
そういえば、赤ん坊はまず自分の手を不思議そうに眺める。
「この動くものは、いつもここにあるこれは、いったいなんだろう」
それからいつも傍らにあり、便利に使っている手も足も、あらためてスポットを当てて考えてみることは少ない。
片方の手の平にいっぱいに水をのせ、GURFA、とつぶやいてみた。
今度河原に行ったら、MURR-MAしてみよう。
ワギマン語のMURR-MA(ムルマ)
アラビア語のGURFA(グルファ)「片方の手の平にのせられるだけの水の量」
トゥル語のKARELU(カレル)「肌についた、締めつけるもののあと」
インドの南西部の言語だそうです。
ブラジル・ポルトガル語のCAFUNE(カフネ)「愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ」
感情と官能をふんだんに持った人たちがひしめきあう国で、恋人たちらしいこんな行動を言い表す言葉があるのは、おどろくことではないかもしれません。その人の髪のシャンプーの香りで愛を実感することもあるし、自分の髪に信頼する人の指がからまるのは、とても安心できることです。
『翻訳できない世界のことば』の隣りにあった同じ著者エラの絵本を購入しました。『Di nuovo vicini』イタリア語になっています。「nuovo」は「新しい」で、「vicini」は「近く」なんだけど、組み合わせるとなんだろう? 「新しい隣人」かな。ゆっくり翻訳してみようと思います。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
【山梨特派員ローマへ行く~2022秋〈その3〉バスの乗り方】
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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