引き続き、原田マハの小説を読み終えた。
中編4編を集めた『夏を喪くす』(講談社文庫)は、砂浜に打ち寄せる波を青く青く描いたような表紙だが、さわやかな、とはいかない。
向こうに見えるのは、たぶん昇る朝日ではなく沈みゆく夕日だ。4編とも、もう若いとは言えない女性たちが、何かを失くしたときの揺れる心情を描いている。
『天国の蠅』
範子は、高3の娘が投稿した詩の雑誌のなかに、見覚えのある詩を見つけた。それは、今の娘と同じ年頃だった自分が、父の借金のために母とふたりで逃げ、進学をもあきらめ、淡い恋を失くした日々へとタイムスリップさせていった。
『ごめん』
陽菜子が十歳年下の恋人とプーケットのコテージにいるときに、夫は職場の事故で植物人間となった。義母に罵倒され、社内では不倫が明らかになり、呆然としていたとき見覚えのない夫名義の通帳を見つける。毎月10,210円、夫は「オリヨウ」というところに振り込んでいた。陽菜子は、通帳の支店がある高知へ飛ぶ。
大通りの信号待ちで、陽菜子は「日枝さん、ご自宅はどこなんですか?」と聞いてみた。
「ごめんです」
「え?」
陽菜子は不思議そうに日枝の顔を見た。日枝は笑って、
「後免町、ゆうとこです。もう最終電車は出てしもうたけど、ほら、この通りを走りゆうちんちん電車の東の終点ですわ」
陽菜子は、へえ、と興味深げな声を出した。
「おもしろい名前ですね」
「でしょ。『土佐の高知のちんちん電車、東はごめん、西はいの』ゆうてね。西の終点は伊野、ゆうとこなんです。こっちは『ごめん』、で、こっちは『いいの』」
横断歩道を渡りながら、日枝は左右を指し示した。
「あやまられて、許しちゃうんですか」
「そう。まっことあやまるがやったら、許しちゃる、いうことです」
『夏を喪くす』
この夏40歳になる咲子は、共同経営者である青柳とともに社員旅行で沖縄に渡った。夫との関係は冷えていたが、恋に仕事に順風満帆と言ってもいい毎日。しかし恋人が、咲子の乳房の異変に気づく。ステージⅢaの乳癌だった。
『あなたは、誰かの大切な人』には、咲子と青柳のその後が描かれている。
『最後の晩餐』
麻理子は、8年ぶりにマンハッタンを訪れた。9.11の事故以来、行方不明となっているもとルームメイトのクロの消息を知りたかった。事故後もずっとクロとの部屋の家賃が振り込まれていると連絡があったからだ。ふたりで過ごした時間。そして8年間来ることのできなかった理由が明かされていく。
『ごめん』のなかのちんちん電車のくだりに、魅かれた。
そして、許すということについて考えた。
終点同士の「ごめん」と「いいの」。そのあいだには長い道のりはあるけれど、行こうとさえ思えばたどり着く、つながっている場所なのかも知れない。
長く隔てられていた場所を、時間をつないで、もしも許せなかった誰かを許せたとしたら、それはきっと自分を解放することでもあるのだろう。
なんて、これは小説とは関係のないひとり言だけれど。
帯の裏にあった「斎藤美奈子氏絶賛!」の文字に魅かれました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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