どうしたら空き巣に入れるか、本気で考えたのは生まれて初めてだった。
開いているトイレの窓から忍び込むか、格子のついた窓の隙間から長い棒を入れて窓の鍵を開けるか、窓ガラスを鍵の部分だけ切り抜く方法をドラマで見たこともある。いや、もっともスタンダードなのは、玄関の鍵穴を針金でこじ開ける方法だろう。だが、それには技術が必要だ。
「――黒澤。助けに来て」
呼んでも、黒澤は来るはずもない。伊坂幸太郎の小説であちらこちらに登場する泥棒黒澤は、仙台に住んでいる。そういう問題ではないかも知れないが。
トラップを仕掛けるのは、いつも自分だ。
東京には、肺の手術をするという父を見舞いに行った。その際、泊まったホテルに鍵を忘れた。夫がもう一泊するので、キャリーバッグにいくつか荷物を置いてきた。そのまま特急あずさに乗り、甲府まで帰って来た。帰ってきてしまったのだ。不注意にもほどがある。
甲府駅で、どうしようかと方向を見失い迷っているとき、不意に足を踏み外したような、そのままどこかへ落ちていくような不安定な気持ちになった。
「あ、こういうとき、なんだ」
腑に落ちる。パラレルワールドへ落ちる穴を、見たような気がしたのだ。全く違う人生への道が、そこには続いていく。一歩踏み外したら穴はすっと閉じてしまい、元には戻れない。右に行くか、左に曲がるか、前へ進むか、後戻りするか。
考えあぐねて夫にLINEを打つと、すぐに電話がかかってきた。
「何とか、家に入れないかやってみる。空き巣大作戦」
そう言うわたしに、彼は事もなげに言った。
「入れるわけないじゃん。東京に戻ってくるしかないでしょう。呆れるよ」
「えっ?」
驚きながらも、夫の言葉にホッとする自分がいた。
とてもシンプルで簡単な作戦だ。東京に鍵を取りに戻ればいい。そう思った途端、パラレルワールドへの穴がすっと閉じるのを感じた。
もしかすると夫には、わたしが吸い込まれそうになったあの穴が、その危うさが見えていたのだろうか。いや、まさか。
どちらにしても、わたしは空き巣にはなれそうにない。
東京に鍵を取りに戻り、帰ってきたのは翌日でした。 庭を歩くと、姫シャラがすっかり紅葉していました。
空に向かって伸びていくアイビーを見ると、元気が出ます。
高野山で箒に使われたという、コウヤボウキ。庭と林の間に群生していました。
あ、ヤマトシジミ。可愛い。
けろじと仲良しなんだね。蕗の葉の上で、内緒話かな。 「鍵忘れたんだって」「空き巣? ありえないよねえ」・・・とほほ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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