終戦の日のきのう、山梨平和ミュージアム主催の構成劇『国が人をあやめ 人が人をあやめる』を観てきた。エッセイ教室で教わっている水木亮先生が脚本・演出を務めている。
構成劇は、『峠の少女』の兵隊と少女のシーンから始まった。
兵隊は、ひとりぼっちの少女を放っておけずともに歩きだす。
歩けなくなった子どもをどうすることもできず、朝鮮人に、「子どもに日本も朝鮮も関係ない」と涙ながらに頼み託す母親。
赤ん坊の死を受け入れられず、抱いたまま子守歌を歌い続ける母親。
子どもの目の前で、男たちにさらわれていく母親。
みな、ただただ子どものことを思っていた。
満州では、敗戦直後の8月17日、山梨県豊村(現・南アルプス市)から開拓に出向いていた約140人が集団自決した。
敵に殺されるくらいなら自分たちの手で。そう考えた末の決断だったという。
また、終戦直前の8月13日の大月空襲では、勤労動員で働いていた旧制都留中・都留高女の生徒61人が亡くなったそうだ。
「あと2日で終戦だったのに」
残された人たちの叫びが、胸に響く。
ラスト。兵隊と少女のシーンに戻る。
心優しい兵隊は、できることなら家族と生き別れた少女を助けてやりたい。けれど、自分の命すらいつどうなるかわからない。食べ物もない。負ぶってやる体力もない。優しいがゆえについてくる少女を拒めずにいたが、決意するしかなかった。置き去りにしようと。
水木先生は、3歳のとき満州で実際に経験したことを、少女に置きかえ描いているそうだ。あそこまで行ったらこの子を置いていこう。いや、もう少しだけ、そこまで行ったら。そう思いながらもお母さまが38度線まで手を離さずにいてくれたから、今も命があるのだと話されていた。
タイトルの『国が人をあやめ 人が人をあやめる』は、とてもストレートなメッセージだ。
「戦争する」と国が決断することは、「国が人を殺める」こと。人の手を使い、人を殺めさせることだ。その通りだと思う。
劇のなかでのように、弱い立場の人から辛い思いをしていくさまが目に浮かぶ。
そんな戦争を、二度と繰り返してはいけない。
写真は、満州で自決した豊村の子どもたちだそうです。
>あそこまで、行ったらこの子を置いていこう。いや、もう少しだけ、そこまで行ったら・・・。
どんな思いなのだろう。もう、人間らしい気持ちも無くなってしまうのだろうか。
いつも、そういうことを考えます。
写真の子供たちを見ていると、とても悲しい気持ちになりますね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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