このところ、薪ストーブに火を入れる際に、よくマッチを使う。
シュッと音を立ててマッチを擦る感覚は不思議と手に心地よく、久しぶりに擦ってみたらハマってしまった。
火はいい。温かいだけではなく、目に心地いい。気持ちが和らぐ。
しかしマッチの火は、心のなかにある小さな事件をちくりと思い起こさせる。
子どもの頃に、マッチで悪戯をしたことがあり、掘り起こせば泣きたくなるような気持ちがまだ、どこかに残っているのだ。
小学校1年生のときだったと思う。両親の留守を見計らって、家の裏で2つ下の弟とマッチを擦って紙を燃やして遊んだ。マッチを擦る。何かを燃やす。それだけのことが、とてつもなく魅力的に思えた。今考えると、恐ろしい。大事にならずよかったとひやりとした感覚で思い出すのだが、当然そのときは、自分はだいじょうぶだと疑ってみることもしなかった。弟の手前、姉御風を吹かせていたこともあっただろう。悪戯は、悪戯に終わり、何事も起こらなかった。だが、だんだんと、母に黙っていることが辛くなった。自分でも、どうしてバレてもいない悪戯を黙っているのが辛くなるのかわからなかったが「良心の呵責」というやつだったのだと、今ならわかる。わたしは結局、母に悪戯したことを告白した。不思議とそこまでは覚えているのだが、そのときの母の反応は覚えていないのだ。叱られたのだろうか、正直に話したことで、許されたのだろうか。
覚えていないのは、告白した時点で「良心の呵責」から解き放たれたのだろう。何とも、気の小さいことである。
家の裏は、裏山と呼ばれる林が広がっていた。父が吊るしたタイヤのブランコが揺れていて、子犬のときにチビと名づけたが大きく育った犬が眠っていた。近所の男の子たちと掘った落とし穴があちらこちらにあり、鼻先に土の匂いがした。
思い出すと泣きたいような気持ちになるのは、なぜだろうか。
今もそのときと変わらず、マッチを擦ることに、火を燃やすことに理由のわからない魅力を感じる。家の裏でこっそりマッチを擦らずとも、家のなかで堂々と火を燃やせるというのは、じつに素敵なことだ。
イラストがお洒落なマッチ箱。山口マオさんのイラストです。
昼間はよく陽が当たる場所に、薪ストーブがあります。
熾火(おきび)の写真を撮ったら、陽の光が入りこんでしまいました。
木を切ったというご近所さんから、いただいたばかりの薪です。
きのうの八ヶ岳は、こんな感じ。雲とおしゃべりしていました。
さえさん、こんばんは~♪
最近、マッチを見かけなくなりましたよね。
学生時代、喫茶店めぐりが好きだった私は出かける喫茶店のオリジナルマッチを集めるのが好きでした。
当時は可愛い絵柄のマッチが多かったような気がします。
山口タオさんの絵のマッチ、すごく可愛いです。
なんとなく昭和の時代を思い出させてくれる絵柄です。
私も古いマッチの箱をたくさん持っています。
我が家は誰も喫煙しないのになぜかマッチと灰皿がたくさんあります(笑)
お気に入りのものって断捨離できないので困りますよね。
papermoonさん
おはようございます♩
最近マッチ、見かけませんね~。たまにお店でマッチいただくとうれしくなります。
papermoonさんのマッチコレクション、以前見せていただきました。いっぱいお持ちでしたね。
イラストの方山口マオさんの間違いでした。すみません。訂正しました。
たしかに、昭和な雰囲気持ってますね。
我が家には灰皿はあまりありませんが、マッチは気に入ったものを買ったりもしています。
断捨離、難しいですね・・・。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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