編者である近代詩伝道師Pippoは、いう。
「詩の行方」が知りたい、と強く思うようになりました。〈一篇の詩〉が連れて行ってくれる場所、見せてくれる風景、と言いかえてもいいでしょう。
以下11人に「特別な一篇の詩」を挙げてもらいその出会いから、どんな影響を受けたか、生き方が変わったかなどが、インタビュー形式でかかれている。
西加奈子(小説家)1977年生
穂村弘(歌人)1962年生
後藤聖子(詩の出版を主に手掛ける七月堂取締役)1975年生
加賀谷敦(古書店あんず文庫店主)1993年生
前野久美子(bookCafé火星の庭店主)1969年生
出光良(近代詩復興委員会・風信子支部長)1959年生
能町みね子(文筆家)1979年生
辻村深月(小説家)1980年生
右手新土(東京大学先端科学研究センター勤務)1996年生
青柳しの(会社員)1992年生
宮内悠介(小説家)1979年生
シミルボンサイトの樋口芽ぐむさんの記事「詩への距離が縮まった一冊」を読み、購入した一冊だ。
考えたのは、「詩」というものと深くかかわってこなかったこと。
そんなわたしだが、「特別な一篇の詩」を挙げるとすれば、昨年出会った茨木のり子の「知命」だということだ。
知命
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏で切れいと進言するが
肯じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしのいくつかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで
生きること、生きていくことってなんて面倒くさいんだ。そう思う日々のなかで、ハッとさせられる一篇だった。
ときにとりだして、またハッとする。ハッとすることで、なんとか生きていける。そんな詩である。
インタビューのなかで特別目に留まったのは、金子光晴の「おっとせい一 三」を挙げた前野久美子の言葉だった。
やっぱり現代の生活って「異常」なんですよ。人は生き物だから身体は四季に応じてしんどくなったり、楽になったりを繰り返してるのに、現代人の生活って、そんなことまるでないみたいに、時間と場所に管理されて生きていることがね。
金子光晴の世界に触れると、その異常に気づき楽になるという。
遠くへ意識を飛ばして、自分を苦しめているなにかから、解放してくれる力があるんですよね。
「詩」の、言葉の広がりを感じさせられた。同じような意味合いのことを、西加奈子が作歌に挑戦し詠んだという歌にも感じた。
あの方が覚悟を決めた瞬間をダイオウイカは知らないでしょう
世界は広く、知らないことばかりだ。
詩との出会いも、本との出会いも、不思議な糸でつながっていますね。
西加奈子の一篇である山崎方代『方代』を読みたくなり、注文しました。
茶碗の底に梅干しの種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
歌集です。義母がずっと続けている短歌に少し近づけるかもしれません。
こんばんは。
茨木のり子さんの詩にはとても惹かれます。
こどもの頃から詩を鑑賞するのは苦手でしたが、彼女の詩だけはすっと心に入ってきました。
彼女の『歳月』という本もお勧めです。
山崎方代・・・・知りませんでした。
甲府の方なのですね。
短歌はいいですね、憧れます。
お義母様歌を詠んでいらっしゃるのですね。
私の母方の祖父もたくさんの短歌を残しました。
それにしても11人の皆さんお若いですね。
近い人もいるけれど、みんな私よりも若い人たちです。(笑)
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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